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最近のアニメ - 作画崩壊関連

「鉄腕バーディ DECODE 02」の七話の作画が神と邪の渦巻く魔界となっていたのでまたぞろインターネットが荒れていた。で録画を見た。うーん、これは確かによくないな。「バーディは前シリーズからずっと高品質かつブレの少ない作画だった」「問題のシーンの動きはたしかにおもしろいのだが、止め絵の魅力が弱い、というかバーディの絵としてはそぐわなすぎるのでバーディ作中には魅力として処理しづらい」らへんが評価をマイナス方向に傾けている。

過去の作画崩壊雑感。

今回の雑感。

  • おれは「作画崩壊」を通じてひととつながる自由を行使するひとが居てもいいと思っているけど(ゲームの場合でいうと用語「クソゲー」をコミュニケーション語として便利に活用する時代があったよね、おれはあれを良いとは全く思わないけど、その現象が豊かさに貢献した場面もまたあったのだろうし、それで幸せになったゲーオタが居るんだったらその幸福を批判する気にはなれない、と思っている)、自分がそれに加担したいわけではないし、一方でプリキュアなどにみられるかんたん作画はむしろ好物といってよいわけで、画面のフランクさに対する判断基準はわりあい緩いと思っているのだけど、今回のケースは「普通にダメ」という評価が適正じゃないかなー、「ダメだから謝れ」みたいな亜空間殺法は勘弁だけど。
    • 作画崩壊は、作画という専門語を使ってるから評価っぽいってのはあるけど、そこは使用の実態を優先させて、ゲームの場合の「クソゲー」同様パッション共有のためのマジックワードとして扱うほうがバランスいい気がするんだよな。何につけても過剰に専門語を自分らなりの理解で誤用を含めて濫用したがるのはオタの心性だと思っているし、またはそれと別の、「過激な表現のほうが通りがいい」みたいなネットコミュニケーションのアレとかもあり。
    • クソゲーに対応するのは神ゲーなんだけど、作画崩壊神作画は、クソゲー神ゲーほどには対応してないかんじか。
  • あれをダメじゃないとかいいだすのは、地球の果てからやってきたオリエンタルな洋クソゲー(でも見所はすっごくあるんだよ!壮絶つまんないけど!)が全部アリになる、という程度にはヘンなことだと思うんだよね。そんなゲテモノ食いが常識になったらおれはイヤだよ。常識には常識でいてほしいんだよ。退屈さは退屈だからこそ基準器になりうるんだよ。
  • 今回の作画を「不足」と取るか「意図」と取るかはよくわからんけど、「あー、いい大人がまたへんなことやってますねー、まったくしょうがないですねーこのひとたちは、よい子のみんなは真似しちゃいけませんよー」みたいに落としとくのがいいんじゃないか。

でもまあ、02 はじまってからこっち全くバーディの話題を見なかった(≒たぶんこのひとたちバーディは見てないんだろうなーと思っていた)ようなアニオタクラスタでも、七話をきっかけにバーディの話が出るようになったので、あの特徴的な作画にはカンフル材としての意味はあったんだろうな。