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最近の読書 - 北方三国志再読

水滸伝のあとは当然楊令伝、の前に原点付近の楊家の戦を再確認するため「血涙 ―新楊家将」だなと思ったけど文庫で買いたいんじゃーという部分で抵抗があって、厄介だったが、上巻をひとに借りることができたのでそれで。借りて読んだからかもだが、なんかいまひとつピリッとしないかんじ。楊家将といえばなんといっても楊業の話だったが、今回楊業が居ないので、ならばライバルの耶律休哥が存在感を発揮するところか、というかんじになるけど、その耶律休哥視点で戦をやるという場面がなかったんだよねいまのところ。楊六郎と七郎がメインで。あと石幻果。それぞれにそれなりに描かれるのだけど、どうもなー、淡々とイベントこなして、こなしたからこういう戦をやって、みたいな流れで読めてしまう。なんというか、読んでていまいちキャラが小ぶりだ。場面に惹き込まれるかんじがしない。いや舞台がか。大舞台が用意されれば、偉大なキャラになってゆくものだと思う。九妹とかほとんど内面描写がなくて、キャラとしても略式で立ってるというかんじがして。まあ、まだ上巻だしな。いろいろ言いつつやはり良い場面はいくつもあったし。下巻に期待しておこう。今度借りる。

それはそれとして北方三国志を再読しはじめてしまった。全十三巻だから、水滸伝(全十九巻)ほどのボリュームではない。並べてみるとわかるが一冊あたりの厚さは三国志のほうが薄く、しかし字が小さく行間が狭いので、ボリュームとしては水滸伝とあんま変わらんかんじ。ざっと一巻を途中まで読んでみて、小説としての印象が水滸伝とは相当違うなーというかんじだ。なにが違うのかっていうと、なんだろう、これらの小説をゲームに喩えた場合に、ゲームジャンルというか、ゲームシステムが違う。描こうとするものの規模が違うので、それを描くのに最適な表現は自然と変わってくる、というかんじだろうか。水滸伝てなんのかんのいいつつ最大規模 5,6 万程度の一地方反乱の話だけど、三国志においてそのくらいの規模の戦いは序盤からゴロゴロあるんだよね。必然的に、イメージされるべき全体像が大きく、描かれるべき人物が全体に対して小さく、それぞれのイベントも細かくなる。ということは、緻密に質感をもって描かれるものは少ない。かわりに展開がとにかく速く、規模がデカい。どちらがいいっていうのではなくて、それぞれがそういうものである、というかんじ。

水滸伝は読んでてアクション性が高かったけど、三国志はシミュレーション、ストラテジってかんじ。こういうふうな感じ方になるというのは新鮮だった。今回の再読も、楽しいものになるだろう。