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勤勉さが無能を殺す

つらつらと書きかけ。

欲望が薄いほうだとは思わないおれが結局のところ多くを望もうとしないのは、欲望よりもめんどくささが上回っているからだと思う。フラットに欲しいか欲しくないかっていわれれば欲しいけど、ちょっとでもめんどくさいことは一切やる気がないので、めんどくさい→どうでもいい→二度寝、という自殺しない回路がドライブしておれの自意識を平穏に保ちつづける。昔から自分以外の誰かになりたいと思ったことがなかった。誰かのようになりたいというひとに共感したこともない。唯我独尊といわれることもあるがそれは違うと思う。べつに自分が尊いわけではない。生まれる先を選べたわけではない。想像力が足りなかっただけかもしれないが、だとすればおれは幸運だったのだと思える。大きな成功も挫折もなく凡庸に生きている。

自分の欲望の身の丈に合うだけの力がない場合、常に不満が生じて人間は苦しい。あれが欲しいああなりない、だが手に入らないしそうなれない。力がない。力がなくてもチカラガホシイカとか寄ってくる悪魔も居ない。解決法はいくつかあって、まずひとつが「欲望に見合うだけ力を伸ばす」、まあそれができる範囲であれば苦労は大概報われる。次に「力に見合うぶんだけ欲望を削る」、できないことはないけどそれは大抵のひとにとって挫折と同義で、すがすがしく通過するのはけっこうむずかしい(相応の手応えと伴に剪定することのできる状況を、誰もが体験できるわけじゃない)。で、最後のひとつが「めんどくさがる」。「めんどくさい」は本当に魔法の呪文といってよく、めんどくさくさえあれば、それがどれほど換え難い体験であっても「めんどくさいんじゃあしょうがない」となる。手に入れないうちに光の面しか見えないのは、単に思慮が足りてないだけだと思うのでここでは置く。人間には可能性だけでなく手触りのある実体が必要だが、自体発光でもしていないかぎりすべてのモノには影があり、どちらに偏りすぎてもうまくない。手に入れれば入れただけの可能性が消えて現実が固着していく。張り付いた実体すべてにめんどくささは潜んでいる。肯定的には手ごたえと呼ばれる。感じ方の問題にすぎなくて、そして人間の感じ方に普遍性はない。

世界は広いし、人生はいくらでも追求できる暇つぶしであるのだろうが、無能は遠くまで行けないし、目の届く世界は案外狭い。がんばって生きてしまえばスペック相応の結論が出るのは早い。それでもなにかを信じて生きる性能が人間にはあると思うが、無能はそれほどにも強くない。それに、確かめるのは勇気だが、勇気は覚悟に支持されなければ空しく、そして空しさの反対側には現実が広がっていて、現実は消費されない可能性のかたまりだ。なにが空しいんだかよくわからない。空しさがめんどくさいということではないと思うが、無能が絶望せずに生きるためには余裕が必要で、そして余裕は必死に作るものではなく、余裕の余剰として増殖されるべきだから、どこかで「生きることへの勤勉さ」みたいなものに、(もしそれがないなら)意識的にでもストッパーを用意しておく必要があるような気もするが、これは結局自分経営的な話だから、ポジティブな話に転換するのも簡単で、どういう全体像なんだかよくわからない。

もともとは、たとえばキレ者になりたいとか思って頑張って研ぎ澄ませたところで、もとがゆるければ結局手に入れた鋭さを持て余して無駄に自分や周囲を傷つけたり刃こぼれを起こすだけなので、ギラギラが抜けきらないうちは自アンのようなコミュニティに漬かって適当になまくらに調整したほうがいいというような話だったかもしれない。