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C さん迎撃 OFF(?)

もうやんカレー

C さんが上京するというのでもうやんカレーを食いに行くことになったのだが最後まで予定が決まらずかなりグダグダの会となった。けどこちらの状況如何に関わらずもうやんカレーはイノセントであるから、うまかった。そしていつもどおりに食いすぎて苦しかった。なぜか毎度注文量を誤る。カレーの前に鴨のあぶり焼き食ってビール飲んでプハーってやってたあたりが最も幸福だったかもしれない。前日徹夜でそのまま参加したので、体力的にはスタート前からリタイア気味だったというのもある。

  • Skype 会議と OFF 会の違い
    • Skype と OFF 会に、多少のメンバー重複があったので、そこいらへんの性質の違いけっこうわかりやすくておもしろかった。
    • 座席順問題が Skype にはない。全員が全員と等距離。OFF 会では座席順があり、位置関係があり、距離と話題エリアが漠然と意識される。OFF 会の場合遠くの席でやっている話に加わるためには中間で行われている話を横切って絡む必要があるが、Skype の場合どこからでも絡んでいけるというか、「べつの話をしている場」がないので、問題にならない。
    • 話題の並走が Skype にはない。全員が全員と等距離であるため、誰かが話しはじめると、それが全員均一に話題として受容される。そのため、「こっちでは○○の話題で盛り上がり、あっちでは△△の話題が紛糾し、そっちでは××の是非を巡って意見が交換される」というような複合状況が生じにくい。OFF 会には時間と空間の二要素あるけど Skype には空間がないので、一列の時間軸上でしか話題が処理されないかんじ。まあ Skype でも音声チャットと文字チャットを併用したりとかすればどうにでもできるんだけど、音声上では。
  • 「勉強してオタクになった」問題
    • オタクの教養問題や、オタクの環境問題等の話。
    • おれとかが主にそうなのだが、物心ついたあとからオタクになった、つまり「気がついたらオタだった」でなく「自分がいつごろからオタクになったかという、その時期が妙にハッキリしているヤツ」というのは、だいたいが「勉強してオタクになった」タイプだろうと思っている。向オタ心の多寡とかそういった軸でグラデーションをつけることはできるだろうが。多いか少ないかはわからない。
    • このタイプの(=おれのような)オタというのは、たぶん受験戦争とかそういう単語がメジャーだった頃の時代の空気を胸一杯に吸い込んでスクスク育った世代だろう。なにしろ受験は戦争であり戦争はウォーゲームでありゲーム世代はキレやすくボクらはデジタルキッズであったので、受験勉強というのはゲーム感覚で消費するあそびの中のひとつだった。当時のおれにとって勉強はそれなりにおもしろいものだった。複雑ないろいろの集合体である我々は個々の競争を経験しつつもバラバラで、競争が適当におもしろくなってきたタイミングで「ひとそれぞれ」とか「みんなが一番」とか水をさされてわけわかんなくなり興ざめしていた。そこへやってきた受験戦争。ようするにすべての努力がスコアアタックへ集束してゆく STG 的な単純さが、降って湧いたように新鮮できもちよかった。
    • やがて戦争は終わり、受験に飽きた。またやってみたいと思うようなものではなかった。おれは運良くというか勉強の甲斐あってというか志望(←べつにおれが行きたい学校ではなかったが、親が入れたい学校だったのかもしれない)校に合格したが、あれで落第していたら挫折だったろうなーと思う。通ってた塾から一緒に受験したメンバー内から合格者も落第者も出たが、しかしその最後の試験結果発表の日には、毎週の小テスト後の発表を待つようなワクワク感はなかった。なにかどちら側からも居心地の悪い、はっきりとした見えない壁が出来上がっていた。当時のおれにとって受験は進学塾の仲間とのゲームの最終ステージだったが、本当はそんなものではなかった。
    • で、勉強に飽きたのに自分はまだ中学生で、数年後にまた次の受験が控えている。いやだ。めんどくさい。なんであんなつまらんことをやらねばならんのだ。けどなにか熱に浮かされたように頭に詰め込むというのは楽しい。という漠然とした欲望を抱えて暮らしていたある日、目に飛び込んできたのがオタク物件というわけだった。そして受験戦争の前線兵士として教育された我々の身体には「なにかを受験勉強的に消費する」というパターンが染み込んで体得されていた。というようなわけで、おれはオタク趣味に没頭してゆくことになった。オタとしてのおれは「(終わらない)安全な受験戦争」として開始された。
    • 松田隆智藤原芳秀拳児」に「師は必要な時にあらわれる」というような言葉があったが、おれはわりとそれを信用している。中学のときにも高校のときにも大学のときにも、時々に幸福といえるサークルがあり、よさげなアーカイブを利用することができた。殊に高校のときダヤン(及びその兄弟)の提供してくれていた環境の豊穣さは筆舌に尽くしがたく、実際におれはいまだ彼らより濃度の高いオタ像を知らない。そこからさらに視野を広げて濃度の多様性を理解し、それからまたさらに広がった視野に現在は居る。死ぬまでオタやってればここからさらに広がったり狭まったりしていくだろう。おれが受験勉強的なオタであった時代は、たぶん大学時代(前期)くらいまでだろうか。現在のおれは、いうなれば「オタクの大学的な精神状態」を留年しつづけている状態か。大学院的な精神状態もあるかもしれない。
  • なぜ腐女子の歴史は語られないか
    • http://d.hatena.ne.jp/kanose/20040822/selfreference
      • 「男オタクは、自分たちの欲望を可視化することによって、様々な作品を享受できるようになったというメリットを得たけど、腐女子の場合、欲望の可視化が自分たちのメリットに繋がる訳ではないのです」
    • 男子と女子では同調圧力の利きが違うかもなー、とはだんだん感じ取れるようになってきた。これまでにもわりと「コミュニティの動向を無視できない度」の男女の温度差については体感していたけど、深刻には受け取っていなかったというか。メリット(主張することによって得られる権益)がないだけでなくデメリット(仲間から異分子視され溝ができる)があるようだと、積極的に発言しようとするひとが出てこないのは自然だ。
    • そのへん見切るためには立ち位置とか感性とかを大きくジャンプして枠外にいってしまうしかないのだろうかな。腐女子話とはちょっとズレるけど「不思議ちゃん」と「ふつうちゃん」の中間の女子キャラがあまり居ないのは、そういうことかも。 ちょっとでも外れた視点に立つために、はるかに遠く立ち位置を定める必要があるかんじ。
    • あと、そのように語られない腐女子の歴史について、腐女子の内部ではどのように継承されているのか(されていないのか)が知りたいわけだが、サンプル数がまだ少ないのでこれは調査続行。いまのところの勘では「意識されていない」「それを問題と感じるひとはあまり居ない(または「非常に少ない」)」「ネット以降の腐女子界隈は相当フラットになっている」とかなんとか。具体的継承法についても「サークルでの上下関係は薄弱」「昔は先輩女子が結婚等を機会に持ってる同人誌を全部後輩に譲渡等の事例があったが、現在は中古屋に売っているひとのが多いかも?」などなど。

ほか思い出したら後日書く。