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Vending Machine Optimization

80 年代末というか、缶ジュースが 100 円から 110 円になって以降、「200 円入れて 110 円のジュースを買ったとき、ジュースの缶と 90 円のお釣りのどちらを取るのが最適か」はひとつのテーマだったといってよい。90 年代後半に 110 円は 120 円になったが、それは 100 円から 110 円への変化と比べれば小さかった。コインひとつでジュースが買える様式の崩壊と、小銭ジャラジャラいわしてジュースを買わざるをえない状況下での変化では扱いが違う。

  • なにも考えていないときにはジュースを先に取る。ジュースを買うモードというのは「ジュースを飲みたい」が最優先になっている状態だからだ。後ろにひとがつかえていない場合なら、まずジュースを取ってあけて一口飲んで、プハーとやったあとにお釣りを取り出す、というくらいの勢いでジュース優先。
  • まず考えたのが効率。ジュースを先に取る場合とコインを先に回収する場合で、動作を終えるまでのステップ数がどう変わるか。効果的に時間を使うには、無駄のないアクションの繰り返しで暮らしをデザインするのがよい。
    • いろいろやってみたのだが、どうもこの判断のためにはまた別の優先目標を設ける必要があるというか。ちょっと面倒。優先目標が「時間」だった場合、ジュースから先に取ったほうが速い。しかしそれだと「財布出す→コインを入れてボタン→ジュース取る→コイン回収→財布収納」という順番で、財布をあけた状態で実行するステップが残り、これがあまりきもちよくない。財布が開いた状態は姿勢の保持要因になって、なんとなく行動の制約を受けている感がありストレスになる。そこで優先目標を「低コスト」に、つまり財布に関するアクションを手早く終えることを考えると、「財布出す→コインを入れてボタン→コイン回収→財布収納→ジュース取る」となり、つまりコイン優先。こうするとアクションとしてはスムーズだが、ジュースから先に取るよりも確実に時間がかかっている。自販機は「ジュースが出てくる」よりも「お釣りが全額取り出し口に落ち切る」ほうが必ず後になる、という仕様上の問題もある。
    • 余談として、自分のあとに自販機を使うひとが並んでいる場合には、「コインから先に回収」のほうが親切かつトータルで高効率な気がする。
      • ジュースから先に回収する場合、ボタンを押してジュースを回収する際重心がスライドして、一旦コイン投入口側のスペースが若干開く。スペースが開いたら当然次のひとがコイン投入口側に入ってくることになるが、このあと結局またおれがお釣りのコインを回収するため重心を戻してくるので、「一旦スペースが開くのに、その時点では入れない」という持て余し時間帯を次のひとに与えることになる。
      • これが「コインから先に回収」の場合単純で、コイン投入→ボタン押す→コイン回収、という三ステップ中はおれがそこを占有し、次のジュース回収モーションは自販機の逆側に足を移してから始動すれば、おれがジュースを取り終わる頃には次のひとが場所を安定確保してコイン投入モーションに入れるようになっている。最速ではないかもだが、「手続きが行き戻りしている感」がなく、心理的にスムーズな行列処理が可能。
        • 次のひとがあまりにせっかちだと、おれがまだジュースを取り出している途中にコイン入れ終わってボタンを押してしまう、という危険もなくはないが、一応そのへんは気をつけていれば大丈夫だろう。
  • 次に考えたのが欲望と可能性の優先度。消費社会において商品と消費者の欲望は互いに規定しあう相関関係にある。そして金は資本主義社会において拡大されつづける交換可能性の象徴だ。落ちてくるジュース缶は外部化されたおれの欲望、小銭は外部化されたおれの可能性を、それぞれ背負って立ち選択を迫っている。どちらが大事かと。
    • この基準でいうなら、若いうちは欲望が強く可能性はどちらかといえば持て余し気味というか、ともかく「若さ」というのはそれ自体が(金のレベルまで象徴化されていない原初の)可能性の塊であるから、あまり可能性の確保を急ぐ必要はなく、また欲望は早急に充たされるべきである。したがって最初に取るのはジュース、小銭は後から拾えばよいとなる。で歳食ったらその逆。欲望は薄くなっているので急がなくていいし、可能性の経営はテーマになってくるのでその保障のため小銭の回収をまず確実に行うのが大事と。
  • もうひとつ検討しているのが「価値」の基準。つまりジュースとコインとで価値が高いほうを先に確保するのが合理的という考え方。
    • これは案外悩ましい。最近は 200 円入れてジュース 120 円だった場合おつりは 80 円であって 40 円差だが、これがジュース 110 円時代は 20 円差であってかなりきわどかった。そして現在でも 40 円差をどう判断したものかは迷う。
    • さっきの欲望と可能性の話と絡むが、こういうことだ。120 円のジュースは、120 円ぶんのコインに内包されていた 120 円ぶんの交換可能性をジュースという形に固着させたものだ。対してお釣りの 80 円は、ジュースに対して 40 円ぶん価値のひらきがあるが、しかしジュースにはない交換可能性を保持している。ジュースはジュースでしかなく、お釣りにはまだ未来がある。そのどちらにおれはより価値を感じるのか。
    • 厳密に考えれば、ジュースになったからといってジュース 120 円ぶんの交換可能性は失われていない。貨幣制以前には物々交換というやりかたがあった。おれが持っているジュース一本とおまえのベビースター四袋を交換してくれ、というような交渉をすれば、ジュースはベビースターと置き換わる可能性がある。まあしかし物々交換には交渉という手間が必ず挟まってくる。そのコストをどう見積もるかか。貨幣制度+定価制度の安定により、このような価格交渉の慣習は廃れ、末端消費のスピード感は向上し、モノの動きがよくなったとかなんとか。これが企業同士とかになってもうちょっと規模が大きくなるとまだまだ商談とかがあって、物々交換時代と大して変わっていないが、まあそこは規模が大きくなると担保できる信用が目減りするので細かい調整も必要、というような話だろう。
    • いや違うか。それは関係ない。おれはジュースが欲しかったから 120 円とジュースを交換したのであって、べつにジュースをさらに別のものと交換するために確保したわけではない。ジュースになった時点で 120 円の話は終わったのだ。だからジュースとお釣りの 80 円は並列ではない。比べるものではないなら…判断基準にならんじゃないか。それはそれで困るな。しかし現実とはまさにこの「比べようのないものを比べなければならない」の不条理と対面しつづける戦場のことなのだ。原因は寿命にある。それと遍在不可能性。lain みたいに「わたしは遍在する」くらい言えればいいのだが…、いや、まあ、そこまで突き詰めることはないか。どっちが先であろうと結局最終的にはジュースもコインも両取りするのだ。二者択一ではない。ただ、同時に二つ取るのが面倒だから(←やってみると両手別方向に動かすのがけっこうかったるい)順番をつけるという話だ。
    • いろいろ考えていくと、自販機の「別のひとが同時に同じ自販機を利用できないようになっている」というプリミティブな仕様はよくできているなあと思える。一回ずつ、一人ずつしか取引できないから、出てきたジュースを巡って「これ買ったのはおれだ」「いやおれだ」とか揉める状況がない。じつに単純なセキュリティ設定だ。いやそれは違うか。そういう当たり前のことに感心してしまうのは、シチュエーションを複雑化しすぎて自縄自縛状態になってしまっている証拠だ。感心できるものであるはずがない。いまよりもっと快適で便利で自由でリスクも低い世界は必ずある。そして自販機が現状の仕様である限りそれは決して訪れない。いやそれもまたどうか。べつにおれは自販機は進化すべきだとかまでは考えていないし。ゲーム機ならともかくとして。

で、結局どうなったかというと、結論はまだ出ていないのだった。当分はテーマとして脳に置いておく予定。この問題に関してはお釣りが出るたびに考えるが、ほんの数秒のことであるし、またなかなか連続性を保持できないので、ほとんど進展しない。