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「時をかける少女」を語る会の二次会

時をかける少女」を語る会がいい具合に終わったので、そのまま二次会へ。おもしろかった。参加者は 10 人強。最初ファミレスを探したけど空席数が十分でないとのことで、じゃあもうメシじゃなくて酒ということになり、居酒屋へ。味や雰囲気はひとまず置いて、畳でたぶんかなり長時間のダベりにも対応できるという点で「庄や」を選んだが(十人以上での貧乏宴会仕様)、会場がエレベータなしの五階というのはけっこうな不人気材に。まあ一旦席に落ち着いてしまえば問題なかろうという判断だったが、それ以外でも場の雰囲気とか衛生感とか、好みに合わないひとも居たかもなあ。ブルーシート会合のような特殊なケースを除いて、宴会の場合「ハズレ席問題」回避のため席移動が容易な座敷形式であるのに越したことはないと考えているので、そこを押さえつつ満足度の高い宴席を設定できるようになるには、やはり場数を踏んだよさそうだ。

二次会の話題は時かけに限らず雑多。喋った話のうち覚えているトピックを並べてみる試み。

  • 古参オタによる時かけ感想を聞きたいが聞けない問題
    • 原作ファンだとか原田知世氏ファンだとか、ようするに昭和の時代の時かけのなんたるかを知悉しているオタは、もはやインターネットでは語らない人々になっているし、またはアニメ時かけをおもしろがっているオタとはクラスタが異なってしまっているので、声が聞こえない。けどおれとしてはまずそういった年代のひとがどう思っているのかの感想が聞きたい。
    • 原作や原田知世氏を取り巻く現象について、あとから「勉強して」ファンになった世代の感想なら聞けるのだが、それだとどうにも疑わしいというか、なんというか。おれはこの件についてはドントトラストアンダーフォーティなので。
  • 作画オタ減ったよね話
  • キャラ萌え文化の先駆は、エヴァンゲリオンではない話
    • 萌えの文脈はエヴァンゲリオン以前から立ち上がっていた。
    • だからおまえら「ウェディングピーチ」を無視するなよ問題。
    • キャラ萌え消費は、ギャルゲーなどのゲーム文化のほうが素養としては近い(ゲームはアニメよりもキャラをストーリーから分離しやすい)。ギャルギャルしい OVA などもあった。まぁそれ以前に TV アニメの分野でも大作「美少女戦士セーラームーン」があるか。水野亜美月刊アニメージュの人気投票でナウシカを降して一位になったのは何年だったか。
    • 女神天国(略してメガパラ)」とか「アイドルプロジェクト」とか以下略。
    • エヴァンゲリオンは当時の大きな現象ではあったので、当然エヴァンゲリオンにおいてもキャラ萌え消費は観測できるだろうが、しかし「エヴァが発祥」と認識するのはエヴァオタに過ぎる。
    • 個人的な感覚だが:エヴァ当時にアニオタのひととエヴァ話をする際、彼らはむしろ「アスカ萌え」「レイ萌え」みたいな話を避けていた気がする。たぶんこのへん彼らなりの「硬派」意識の影響と観測でき、ほほえましい(特に KONAMI 社を信奉するようなゲーオタなら、そのような通過儀礼は 1994 年「ときめきメモリアル」で既に終えている)。というようなわけで、エヴァにおけるキャラ萌えっていうのは、むしろ本放送終了後から劇場版への爆心地的な空白期間に、すべり込んできて既成事実化された路線なんじゃないのかなあとおれは思っているんだけど、まあそれはおれがアスカだレイだみたいな話に全然ピンと来なかった種類のオタだから持っている世界観なのかもしれない。
      • エヴァンゲリオン界隈とときメモ界隈の、Nifty のログはいま読んでもおもしろかろうと思った。あれを世界のすべてだと思うととんでもなく偏りそうだけど。
      • エヴァンゲリオンは、これこれこのようにストーリーや設定、構造が素晴らしいのである!だからエヴァが好きな俺はあくまでも硬派にエヴァのストーリーを楽しんでいるのであり、べつにレイだアスカだいいんちょだということではない!」は、そのまま「ときめきメモリアルは、これこれこのとおりじつに優れて正しいゲームシステムを備えているのである!だからときメモが好きな俺はあくまでも硬派にゲームプレイを楽しんでいるのであり、べつに虹野さんだとかヘルメットだとかはどうでもいい!合言葉は Bee!(←これは違う)」に言い換えられる。自称硬派がもえもえ路線に屈してゆく過程というものは、どのフレームを切り取っても熱情がほとばしっており味わい深い。
      • あと、アニオタのひとがエヴァを語る際には「レイ」「アスカ」と呼び捨て、パチンコオタのひとがエヴァを語る際は「レイちゃん」「アスカちゃん」とちゃん付けするという傾向があるような気がしてそこは興味深い。
    • 個人的な感覚だが:当時にエヴァンゲリオンに猛り狂いすぎたようなアニオタのひととは、ちょっと宴会がやりづらかった印象がある(「あいつらと飲むと延々エヴァ話になるんだよな。あと派閥違うと空気悪くなるし…」みたいな)。まあ一方には「格ゲー話や次世代機シェア話などしかしたがらないゲーオタ」もまた居たわけだが。
    • 根本的に、90 年代の大半は「ゲーム」がオタジャンルを席巻していた年代といえると思うので、その当時を「エヴァ(アニメ)」をキーにして遡ってみても、あまりバランスのよい視点にはならないんじゃないかと思っている。
  • ジブリになりたい「ブレイブストーリー」、ジブリの息子の「ゲド戦記」、ジブリから出た「時をかける少女」と、今年の夏の三大劇場アニメは全部ジブリアニメだ話。
    • なんとも味わい深い継承戦争といえる。
    • この三本のうちおもしろいのは「時をかける少女」だが、一番ひどいと評判の「ゲド戦記」について、おれはあまり悪い印象を持ってない。というのも、「ゲド戦記」は「時をかける少女」よりも「語られやすさ」という点で圧倒的に優れていると(結果的に)いえるからだ。時かけ話をしているアニオタより、ゲド話をしているアニオタのほうが明らかにイキのいい目をしている。そして結局「ジブリの話」になる。今年はちょっとそのアングルが強烈すぎてあまりバランスのいい状態とはいえないだろう。ともかく、現代に提供される作品として、この「語られやすさ」という路線は必ずしも間違っていないと思える。目を爛々と輝かせてゲド語りをしているアニオタを見れば「親は子を殺せぬ。子は親を疑えぬ」みたいな話を連想しなくもない。
    • あと、原作大好きっ子だけども微妙にル・グィン氏の妖怪ぶりに疑念がなくもないオタとして、今作「ゲド戦記」の立ち位置は、案外興味深い一石だったのではないかなと思わなくもない、が、それは書き出すと長いので省略。
    • おもしろさでも語られやすさでも影の薄い「ブレイブストーリー」をこそ、ここでオタは擁護すべきでないかという気もしなくはない。
  • アニメ業界の CG ツール問題
  • 一括りに Flash 業界というけど、Flash 業界は一括りにできるようなもんじゃないよね話
    • エロゲーなんかもそうだけど「金がそれなりにはあるので動かさないといけないけど、あまり大口の商売に乗れるほどでもないので、適当に割はよくなくていいので儲けが出るような業界ないかね」みたいなノリで選ばれがちな小商いの世界のひとつとして Flash への注目は集まったのかも話。
    • 「いま Flash が熱い」みたいなかんじで大雑把に資金が流入していた雰囲気だけど、べつになんというか「Flash 界」みたいな母体が存在するわけでもなく、わりと別個な状況に過ぎなくて、個々に見ればけっこう寒いし、さらに潮流が過ぎて資金が途絶えると大変だろうな話。
    • ミドルウェアみたいなもので、使われ方も一様ではない。生産効率が劇的にどうこうなるというような性格でもないので、結局資金に見合った体力でやっていくしかない。そうなるとアイディアは限られてくる。
  • 映像作品が供給されるメディアの解像度問題
    • DVD は出た当初から映像オタからいろいろ言われていて、でもまあおれはそこまでこだわりたいというわけでもなかったので、まあいいじゃんと思っていたが、さすがに去年から今年にかけては、もはやソフトを DVD で買いたいとは思わない。ゲームですら 720p になっている昨今に、DVD の映像の粗さはかなり不満だ。べつに BD でも HD-DVD でもなんでもいいから、とにかくにも「粗くない、買う気のする」精度のパッケージに金を支払いたい。けど一方で YouTube で満足できている層も居るというのはじつに残念な状況といえる。あの解像度で満足できちゃうのかという。まぁそれはメディアの出口の多様化という話で、べつに高解像度至上主義と真正面から対立項になるわけじゃないんだけど(おれは XBOX 360GBm を同時に遊んでて特に不満ないんだし)。
    • ていうか BD 版「AIR」のアップスキャンコンバート問題はどうなのよ話。むかしのフィルム制作のほうがリマスタリングでよくなるんじゃね話(それも手間かかりそうだしどうかな的な)。半端な解像度でラスタライズしたデータしか残ってないようなデジタルアニメは高解像度時代に逆に対応しづらいのか。

あと、宴会中おれの頭に換気扇のガワが落下してくるというトラブルが。

  • おれはわりと大雑把な環境で育った関係もあって、この程度の居酒屋内事故には慣れており(頭に怪我もないし、ことさら痛がってみせるほどの刺激でもなかったので)問題にしなかったが、ほかの(文化的な?)ひとはちょっと驚いていた。このへんの感覚差は他人の快不快へのセンスというか、ギャップとも絡んでいるのだろうから、おれももうちょっと気をつけたほうがいいのかもしれないとは思うが、むずかしいところだ(痛くもないものを痛がってみせるのは奇矯な態度というべきだし)。
  • まあでもガワが落ちたのがひとの頭でなくておれの頭でよかった。そこはラッキーだった。人間は原理的に他人の痛みに共感できない生物なので、自分以外のひとのダメージを推し量るときはどうしても慎重にならざるをえず、それはめんどくさい。
  • おれは自分のデリカシーのなさや痛みへの鈍感さを自覚しており、それは「設定」側より「運営」側にある例外処理対応で活かせると思っているので(どんな状況でもガサツ勢が手早く片付けてしまったほうが面倒のない事柄はあり、ガサツ勢が手をつけてしまうと後で面倒なことになる状況もまた沢山ある)、そういう振る舞いだけやっていれば問題ないと思えるが、それしかできないでは多様な局面に対応できないので、多少なりとデリカシー感覚力を上げたほうがいいとは思いつつも、それを手に入れてしまうと今度はガサツさへの抵抗感が生まれて行動を自制してしまったりとかするだろうし、どうしたもんかな。まあ他人の痛みに敏感に、自分の痛みは制御して、総合的に円熟していけばいいって話か。そういう士官候補っぽい生き方ができるほど器用にはできてなさそうだけどなあ。