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"ユリイカブログ作法" 打ち上げパーティ

で、会場で待ち合わせる予定だったひとも来なかったのでどうするか迷ったけど、電話したらパーティには来るというのでとりあえずトークショー後の宴会にも参加。屑デス 2 でもそうだったがだいたい 30 分ほどで単語を拾い終えてしまってオーバーフロー。おれは簡単におなかいっぱいになりすぎるなあと思いながら酒飲んで煙草吸って、クロック数を若干落としつつ周囲の参加者のひとたちのリズムを探る。

  • 環境がトークショーよりよかったので場もわりあい盛況だったと思う。居るひとの大半が喋れるひとなので全員でいっせいに喋ったほうがおもしろいというか。そのぶん減衰も激しいけど。終電前まではとにかく会場に対してひとが多すぎて困った。なんか偉そうなひとたくさん居るんだから偉い人順に席を設けたほうがいいんじゃないかと思わなくもなかったが、そのへんあまり整理せず適当に場の流れに任せるほうがブログイベント的にはうまくいくのだろう。
  • 参加者は 60 人弱程度。もうちょっと技術系とか IT ベンチャー系とかのひとが居るのかと思ったが全然おらず、ほぼ人文系と出版系で占められていた印象。あたまよさそうだけど実の話はあんまり出ないかんじ。はてなダイアリユーザ率はかなり高かった。
  • そういや会場へのタクシー移動中「インターネットのほうが好きなひとたちは速攻帰ってぱるぼら氏のラジオきいてんだろうなあ」とかぼんやり思ってたことを書き忘れていたので追記。あとタクシーが通った道筋はだいたい歩いたことがあっておれも東京短いなりに案外あちこちほっつきまわってんだなと思ってちょっと安心した。まあ大通りだからな。けど車だと歩きと全然感覚違うから宇宙人みたいな気分になる。タクシーて車がブヨンブヨンするからあんま車ってかんじしないし。体調がまだ回復しきってなかったからかも。

で、「おもしろいけどこれはこんなもんかな」的な感想で終わるかと思われたパーティだったが、ひとがまばらになった夜半あたりからふつうのおもしろ話になってきて、なんでこんな流れがこういう集まりの中から出てくるんだ?と首をかしげつつも結局朝まで居座って話を聞いてしまった。はてなダイアラー侮りがたし。けどひとの名前は二人しかわかんなかった。おれ人文系の日記とか読まないからな。じゃあなんでそういうひとのためのイベントに行くのかという話だけども。

  • オタク vs サブカル問題
    • 会場が会場だけにオタ的なスタンスを主とするようなひとはほとんど居らず、サブカルを自認 or サブカルに理解を示すひとたちが圧倒的に多かったので、この問題についての普段とはちょっと違った立場からの見解をいろいろ拾えた。
    • サブカルの主張「オタクはサブカルを敵だと思っているが、そもそも自分たちが何を指してサブカルと呼んでいるかよくわかってない」
      • おれ「それは認める。実際おれはサブカルのことなんざ知らん」
    • サブカルの主張「サブカルニューアカを敵だと思っていて、オタクは仲間だと思っているが、オタはそこをわかってくれない」
      • おれ「おれはオタだからニューアカなんて用語は知らん。それはなんだ」
      • サブカルニューアカ(デミズム)というのは、大雑把にいうと 80 年代以降に出てきたフランス daisuki とかそれ系の連中」「あー」
    • サブカルの主張「サブカルには頭のいいサブカルと頭のわるいサブカルが居て、一枚岩ではないし、オサレでもない」
    • サブカルの主張「ていうかサブカルなんてやってたってちっともモテない。オタはやおいのひととかコスプレのひととかと簡単にイチャイチャできそうでうらやましい。妬ましい」
      • サブカルだってそもそも自分たちが何を指してオタと呼んでるのかよくわかってないじゃないかと思った。
      • 基本的にオタ→サブカル / サブカル→オタいずれの問題にせよ「自分たちが一枚岩でないことはよくわかっている」「相手もまた一枚岩ではないのだろうと推測できる」のにもかかわらず「相手の話になると(よくわからないので)単純化してザックリ語ってしまう」ことにより生じていると推測できる。ならば、相互理解が進みきると問題を生じさせる余地はかなり小さくできないか?相互に多様性を保障しあっている存在を一様に語ってしまうことによるリスクもあるわけだし。
      • サブカルがモテないという事実は理解している。「女の子にモテたい←→彼女が欲しい」の欲望変質問題の前段階としてそのての個別状況についての考察は済ませた。反動的に隣の芝を青いと思ってしまう傾向はオタもサブカルも同様。系や属で考えてしまうからコンフリクトが生じ、それを個人に無理やりあてはめるから仮想の対立が現実の確執に変化する。もともと逃避・ネタに過ぎない。伝言ゲームで嘘を本気にして戦争をはじめても武器産業が喜ぶだけで空しく、まあ実のない趣味に心血を注ぐことに抵抗はないが、結果的に下衆な連中の喉を潤してやるのは心楽しくない。
      • いちおう以前採取した同様のコメントを例示
        • 「オタコミュニティではモテようにも異性がそもそも見当たらない。その点サブカルコミュニティには女の子いるじゃんチャンスあるじゃんうらやましい妬ましい」
        • 「お前らイベントでコスプレ女子と手当たり次第イチャイチャしてんだろ!」「そんなわけあるか!」「お前らだってメンヘル女子と同棲してるじゃないか!」「そんなわけあるか!」非モテ餓鬼道という言葉が思い浮かんだ。
  • そのほかサブカル世界観
    • 「オタクは歳取るとサブカルになり、そしてサブカルになった元オタは叩かれる。いつか来た道いずれ行く道じゃないのか」
      • 自然な現象を説明しているとも思うが、運用に注意したい言い方。オタの偏差値競争観を踏まえておかないとあぶない。
      • 「オタの偏差値競争観」とは
        • オタ精神論のひとつ。べつに伴う実体などはない。
        • いま適当に書き出してみると「よいオタクとは、毎日アニメや漫画を読んで、ゲームを遊び、架空キャラをこよなく愛し、ほどほどにお金を使い、なごやかにオタ友たちと語らい、いつまでも飽きず、古きも新しきもなにごとも尊重し、大人になってもおっさんになってもじいさんになっても、いつでもオタシーンの真ん中で微笑んでいるひとのことである」←これ。一読するとわかるが、この考え方はスタートダッシュ時より中盤以降の身の振り方に対して実に厳しい。
        • 通常の社会には「上」と「下」があり、ひとは下に始まり上を目指すものと言われているが、オタ社会の場合上下云々より「偏差値 50 であることの優位性」の比重がはるかに大きい。もちろん低いのはだめだが、「最も高い」ことより「最もありふれている」ことが優先される。
        • 人間生きていれば(意識しなければ緩やかにではあるが)ほっといても自然に成長するものだ。オタも人間だから成長する。ふつうだったらできる範囲でやりたいだけ先まで進めばいい。しかしオタの場合偏差値 50 に達してからはそういうわけにはいかなくなる。そこまでは「上げること=優秀に近付くこと」だったが、これからは「上げること=優秀から遠ざかること」になるからだ。そこからは「いかに自分を成長させないか」という戦いになる。ようは自然に芽生える各種の欲望をいかに盆栽していくかという話だが、加減がなかなかむずかしい。
        • 一般的に偏差値 50 以上は「上」という。しかしこの場合そうではない。非オタは自分の価値観をそのままオタの生態に持ち込んで測ろうとするので履き違える。仲間との連帯を離れ安易な成長を選んでしまうのはオタにとっての、わかりやすくいえば「堕落」、オタ内的気分でいえば「愚かになること」だ。そこには悲哀や残念も含んでいると思うのだが、同意を得られたことはあまりない。
        • この仮説でいうと、偏差値 50 を自認するオタが居た場合、彼または彼女は、自分たちがエデンの園のド真ん中に居ることを自覚しているということになる。そこにある「美しいオタとしての生」を捨て、知恵の実など食って個別化し楽園を追われる(←オタの楽園に唯一神など居るわけがないので、この場合堕落者を実質的に追い払うのは楽園のその他の住民たちの役割だ)などまさに愚の骨頂というものであって、外でのみ価値のある「それ以上の成長」が内部完結を半ば目的化しているコミュニティ内で評価される道理がないとなる。
        • ただ、この世界観自体結局のところ「外部から与えられた結果としてのもの」という自覚が半ばオタにもありうるという部分がややこしく、取り扱いには注意を要する。なんつーのか、結局優位性を主張する形でしかオタコミュニティに参加できなくなったら終わりというか。
    • 「なぜオタは自分の性嗜好を抑圧しませんか?」
      • まあエヴァンゲリオンの長期的取り扱いに失敗して萌えを取り込み損ねたサブカルの血筋にはわかりづらい話ではあるかもしれない。ただ、そこはサブカルが抑圧することで性欲をブーストさせる(のか?)のに対し、オタは開放し流通量を測ることでブーストさせてるというだけの違いかも。ただ、開放系だと個性化に限度があるので、火影レベルの戦いになるとオタ界の変態はよその界隈の変態と比べたら世界に誇る HENTAI も案外淡白なものでしたみたいな結果になるんじゃないかと思う。あと、オタ文明では男性でなく女性のほうに大半の現象のルーツがあり先進している可能性にも注意すべき。オタの性欲話には、女性的性欲の発現と説明できる帯域がけっこうありそう。ただしこの話も応用可能(に一見思える)範囲が広すぎるので、これまた扱い注意。
    • 「地方 vs 東京」問題についてのオタ・サブカルの温度差
      • おれは「オタとしての地方 vs 東京」みたいな話してるときに真面目な顔されると「なに本気になってんのこのひと?」とかポカンとしてしまって隙だらけになる癖があるけど、これがサブカルのひとにとっての地方 vs 東京とかになると、ちょっと話は変わってくるのかもなあと今回聞いてて思った。おれはサブカルじゃないので判断できないけど、ある程度「サブカルなら真面目になってもしょうがないかもしれない」と思うことにした。
      • オタに対して地方東京話を真面目な顔して振るひとって、一旦その話をサブカル相手にやってから、そのままの価値観とか土地勘とかを対オタに持ち込んでるから話ややこしくしちゃうのかもしれないなと思った。違うんですよ東京だろうと地方だろうとオタは不自由しないんです。自由とか不自由とか考えないところに向かっていき出発するのだから。あとメディアが東京で作られてても地方のオタはそれを東京のものだとは思いません。全国各地に配信なり頒布なりされてんだったらそれは強いていえば日本のものであって我々のもので、それ以下のものではない。オタがなんのためにわざわざ実社会でなく仮想世界にハマってると思ってんだ。じゃあ逆に東京のどこかにはバイストンウェルがあるとでもいうのかみたいな話になる。CLAMP 作品的東京タワーのことは地方に住んでいてこそ実感できるものと思うし(→http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20041002#1096713125)。ほかには、あれがないこれがないとか、ないものに依存して人間が育つことはできないのだから、マルチリンガル不能の人間を多く輩出してしまうほど自己中央化した文化圏は不幸だなあとか思ってしまうではないか。諸々環境や育ち方は違おうけども結局オタになっていくわけですオタは。
  • まとめ
    • 去年のテーマは「オタクと恋愛」だったのだが、今年は何にしようかぼんやり決めかねつつ、「やおい文化の再発見」かなあと思っていたが、それと並行して「サブカルとの和解」もアリかなと思い始めた。この和解というのはちょっと複雑で、夢で喧嘩した隣のクラスのよく知らんひとと翌日学校で仲直りしてみるのもアリかみたいな話。ハァ?て顔するしされるよなそれは。
  • 童貞台詞メモ
    • 「身近の唯一の女性が、TRPG で友達がやってた女エルフ」
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