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やおいのひとの苗字についての長年の疑問 の件

matakimika2005-03-31

ふとしたご縁でメールをいただいたひとから「なんとなくだがこのひとは、やおいジャンルに詳しそうな気配がするな」とオーラで感じたので、長年抱えてきた疑問のひとつをえいやあとメールで送ってみたら、勘が当たって腐女子のひとだったらしく(ここの日記のひとだった→http://d.hatena.ne.jp/emifuwa/)丁寧なお返事をいただけた。内容が大変興味深かったので許可を得て公開。

  • おれの質問

もう十年ちかく前の話になってしまうのですが、当時、

  • 活動するジャンル(=作品)に登場するキャラクタの苗字を借りてきて、自分の PN の苗字にして、下の名前で固有性を表現する

という命名形態が、やおいジャンルのひとたちにあったと思います。

  • (おれが見ていたのはごく狭いジャンル・時期のことだけなので、全般的というわけではないかもしれません。例としては「新世紀 GPX サイバーフォーミュラ」(CF)なら加賀とか新城とかいう苗字の PN を見ましたし、「SLAM DUNK」(スラダン)なら赤木とか仙道とかいう苗字のひとがいました。)

自分の支持するカップリングからは、微妙に外れたところにいるキャラクタの苗字を借りてくるケースが多かったのかなと推測しています(苗字が赤木で作品は主に流×花とか)。

で、彼女たちについて、ジャンルを移り変わるときにその苗字を捨てて、新しいジャンル(=作品)からまたその作品に登場する人物の苗字を借りてくることで、なんというか、過去の活動を一旦「過去のもの」として(消してしまうわけではなく)区切りをつけて昇華し、新天地でゼロからスタートしますと意思表明する、ある種「禊ぎ」に近いよーな行動を取るケースがいくつか見られたように記憶しています。

これっていうのはまあおれのような部外者からの見方ですから、やおいの内側から見て、実際にそういう事例はよくあったことなのか、またよくあったとすればそれはやおいジャンル界隈内ではどのように位置付けられた行為だったのか、事情のわかっている方にお伺いしてみたかったのです。

関係ないがいま日記ログ見てみると、おれはこの疑問を昨年八月末の宴会(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20040827#p2)でも話題にしている。

  • それに対する回答

その道に精通は…してないかもしれませんが、私にわかる範囲でお答えしますね。なるべく細かいニュアンスをお伝えしたいので、非常に長くなります。お暇な時にお読みください。

私は現在 29 才で、小学生の頃に「キャプテン翼」(C 翼)がきっかけで同人界にハマりました。C 翼の頃は田舎でアンソロジーを読む程度しか情報源がなかったので、全体の C 翼同人シーンのことはわかりませんが、当時から既にペンネームにキャラ名を付ける人はいました。「いざわ光」とか、姓も名もキャラ名という人もいらっしゃったかと思います。登場人物への愛を表す感じであったように記憶しています。

当時よく同人誌を買っていた友人からはこんな事例も。

  • C 翼全盛期の頃には確かに日向や若島津のもじり名前が多くみられた(大手に「おぢろう組」というサークルもあったくらい)。
    • サークル「おぢろう組」は里中守氏とへうがけん氏の二人サークル。里中氏はドカベンから、へうが氏は C 翼(日向小次郎若島津健)にそれぞれ由来するものと思われる。
    • 余談だが、サークル「おぢろう組」は現在もこの名で活動されている(いまはヒカ碁かも)。ペンネームもたぶんそのまま。キャラクタへの変わらぬ愛もあるだろうし、名前が定着してしまったため変えにくいのもあるのではないか。
  • 変名が一種の禊だという指摘はもっともだが、当時から「ころころ名前を変えるのはいい加減」という風潮はあった。昔のほうが大手にくっついてジャンルころころ変わることを白眼視する傾向は強かったと思う。今はそれほどでもない。大手と一緒にジャンルを渡り歩くことが珍しい現象でなくなったため。節操のないことを恥としなくなったっていうのは、これは現実社会とリンクしてるかも。

聖闘士星矢」の頃は、主要キャラに名字が基本的にないせいか、あまり見かけませんでした。どちらかと言えば「フェニックスこすり」など、星座名を入れて一種のギャグとして使う方が多かったような気がします。(フェニックスこすりさんは、今調べたところジャンルが変わってもしばらくこの名前を使ってらっしゃったようです。CF にいらした時は確か「デラックスこすり」だったような…。その後は楠本こすりさんというお名前で商業などでも活動していらっしゃるようです)。

一番キャラ名が使われていると感じたのは「鎧伝サムライトルーパー」(トルーパー)の時でした。自分自身はハマっていなかったのですが、当時「羽柴」という名字の PN が大量発生した記憶があります。いまでもこの名前でプロでやってらっしゃる方も複数いらっしゃるかと思います。字面がカッコいいのと、一般的にはあまりない名前なのがよかったのかもしれません。これは実際同人誌を買ったりしたことがないので、どんなニュアンスで使われていたかは不明です。

CF でもあったことは覚えています。でも、それほど多くはなかった印象です。新条と加賀は確かにあった記憶がありますが。

スラダンも同人的にはハマってなかったので詳しくないですが、赤木さん、仙道さん、いらっしゃいましたね。ただ、この時期になると、私見ですが「大手で、ある程度実力と人気のある人がやるお遊び」になっていたような感じがします。いわゆるピコや中手、作り手ではない側の PN としてはほとんど用いられてはいないのではないでしょうか。昔はそれこそ猫も杓子も(大手も小手も一般雑誌投稿者も)羽柴だったりしたのが、今ではそういう命名の仕方はダサい→大手がやればダサカッコいいになるんじゃないかと。

頁作さんが目にしたケースというのは、たぶん比較的大手さんのペンネームですよね?アンソロに描かれるような。末端や全体の状況では、キャラの名前を付けるのは CF 時点あたりで、もうかなり廃れていたように思えます。

現在では、下手にキャラ名を付けると反感を買うかもしれません。そこまではいかなくても、キャラの名字をペンネームにつけるという遊びはかなり衰退したのではないかと思います(もしかすると、ジャンルのうつりかわりの激しさも関係があるのかもしれません)。

女性である程度大手だった場合、頻繁に名前を変えると見つけてもらいにくいというデメリットもあると思います。今なら「テニスの王子様」なんかがいいサンプルなのかもしれませんが、私は未読なので詳しくありません。でも、やはり名字を使うケースはそれほど多くないような気がします。

自分の支持するカップリングからは、微妙に外れたところにいるキャラクタの苗字を借りてくるケースが多かったのかなと推測しています(苗字が赤木で作品は主に流×花とか)。

これに関しては、そうでないのもあるしそうであるのもあるかと…。ただ、二次創作でカップリングを書く場合、どうしても攻めや受けに感情移入して書きますから(一概には言えませんが、「自分がこう愛されたい」という願望の形をカップリングに仮託して描くことが多いと思われます)、受けキャラの名前を自分に付けるのは、なんていうのか…あんまりにもそのまんま過ぎて気恥ずかしいと言いますか…。

こう、普通の漫画家さんや小説家さんでも、あんまりにも作者の願望をそのまま描いてるなーと感じると、読者として萎える時ありますよね。そこは見たくなかった…というような…。だから、受けキャラと自分の名前を直結させることはあまりないように思えます。受けキャラって大概「かわいい」わけですから、自分=かわいいになっちゃいますから。実際はそういう願望をもってそういうカップリングを書いていたとしても、それ表明するとまずいだろ、キモいだろ、という配慮がはたらくのですね(あくまで私個人の感覚なので、もちろん違うという方もいらっしゃると思います)。

攻めキャラ、ちょっと外れた傍観者キャラの方が付けやすい傾向はあると思います。

それから、昔はよく「相方」というのがいて(今でもいますが)合同誌を出す仲の良い書き手さんが二人いた場合、A さんは気が強い感じだから攻めキャラの名前つけて、B さんはおとなしい感じだから受けキャラの名前つけて、みたいな企画もの、ごっこ遊びっぽく一時的につけて遊んだりしていた方もいらっしゃると思います。

で、彼女たちについて、ジャンルを移り変わるときにその苗字を捨てて、新しいジャンル(=作品)からまたその作品に登場する人物の苗字を借りてくることで、なんというか、過去の活動を一旦「過去のもの」として(消してしまうわけではなく)区切りをつけて昇華し、新天地でゼロからスタートしますと意思表明する、ある種「禊ぎ」に近いよーな行動を取るケースがいくつか見られたように記憶しています。

確かにそういう方もいらっしゃいました。ただ、今ではそういったケースはほとんどないと思います(あまりメジャーなジャンルにいたことがないので自分の感触だけですが)。ジャンルで名前を変えるとしても、キャラの名字をそのまま付けるよりは、関係のあるものを付けたり、完全にギャグだとわかるようなキャラの名字を付けたり。全体的に、昔より名前に執着する度合いが減ったように思えます。たぶん、頁作さんの言われる「禊ぎ」のような感覚はほとんどなく、ただ変えるだけ。重みはない。

現在二ジャンル(ひとつはコミック系、もうひとつは小説系)の同人サイトをよく閲覧しますが、作り手読み専に関わらず、キャラ名を名前に付けている人を見たことはほとんどないです。

命名(全体のもじり)で最も有名なのは「野火ノビタ」さんでしょうが、彼女も別にのび太ラブではないでしょうし…。

と、ここまで書いて思ったのですが、キャラの名前を付けることが多い場合の理由に「作品内におけるキャラ数が少ない」というのがあるかもしれません。

私が今までのジャンルで最も多く(書き手その他含め)ペンネームに使われたと思う名前は「羽柴」なんですけど、トルーパーって基本的に主要キャラクターが五人しかいないですよね。で、だいたいファンはその五人の中の誰かを好きになります。トルーパーが好き、という話になった時「誰が好きか」というのが重要になってくる。

スラダンや翼だとキャラ数が多いので、誰のファンかよりもカップリングやその他カテゴリをペンネームで表現することが重要になる(いろんなキャラの名前から文字を拾って合成したり、カップリングから外して赤木と付けたり)。好きなキャラを名前に付ける、というのよりももうちょっと進んだ形態と言いましょうか。

ただ、自分のことに関して言えば、キャラ名をペンネームに付けたかったのは小学生の頃、C 翼の段階までです。それも「好きだから」というより、そういう人が当時多かったのでそれがカッコ良く見えたのだと思います。ごっこ遊びの延長、同人への憧れ、みたいな。

年齢が低かったというのも大きいと思います(知らないだけで、今でも低年齢のオタクにはキャラ名をつける文化があるかもしれません)。今のペンネームはキャラ名に由来するものを使っていますが、キャラが好きというよりは、名前それ自体がカッコイイなーと思って付けた部分が大きかったですね…。あと、わかる人が見れば恥ずかしいバカペンネームというコンセプトの方が重要でした…。

やおいの内側から見て、実際にそういう事例はよくあったことなのか、

「昔(トルーパーあたりまで)はよくあった。今はあまりない」でしょうか。

またよくあったとすればそれはやおいジャンル界隈内ではどのように位置付けられた行為だったのか

  1. 作品への愛情を示す(他ジャンルから見てもわかる)
  2. キャラへの愛情を示す(受けキャラ a に対する攻めキャラ b の名を付けるなど)
  3. カップリングへの愛情を示す(上と同じ、またはキャラの名前を組み合わせる、傍観者キャラの名前を付けるなど)
  4. 属するカテゴリへの愛情を示す(作品にキャラが多数いた場合、キャラの属する学校名などマイナーな団体が好きな場合それだとわかる名を付ける)
  5. ある種のギャグとして付ける(今ハマってますよ的な、こんな変な名前つけちゃいましたという感じ)
  6. 単に名前の字面がカッコいいから付ける
  7. ごっこ遊びの一環として付ける(相方とカップリング攻め受けの名前を付けて遊ぶなど)

結構、6 も大きいと思うんですが…自分がそうだから(笑)。今の同人界では、ほとんどが 5 じゃないかと思います。

と、ここまで書いて、周囲のオタ友人(女性)数人にも尋ねてみました。

面白いのは、腐女子度低い友人ほど「キャラ名を付けるのに抵抗感がある、キャラと結婚するみたいだから」と言います。尋ねた友人たちの中でもっとも腐女子度が低く、どちらかと言えばやおいが好きじゃない人は「好きなキャラ◎◎の名前がハンドルに付けられているのを見ると『◎◎はみんな(読者)の◎◎であって、おまえのものじゃない!』と思ったりする」こともあるようです。

それに対して、もう腐女子として生きていくしか!な腐女子自認高い友人たちは(私も含みます)、「結婚するみたい…??考えたこともなかった!そう言われてみればそういう考え方もあるなあ」と、まったく対照的な反応でした。私も、この文章を書いていて初めて「名字を付ける」ということの世間的な意味合いに気付いたくらいです。

キャラに対する距離の取り方が、腐女子とそうでない人で違うということがあるのかもしれません。

腐女子友人の意見は、

  • 「ギャグとして付ける人がほとんどだと思う」
  • 「羽柴や毛利が流行ったのは、厨受けするカッコイイ名前だったからじゃないの?」
  • 「昔はともかく、そもそもこの人(頁作さん)が言うほど、キャラ名字を付ける人って多くないと思う(頁作さんが目にしているのは一部の大手のみではないかという指摘)」

考えてみると、男性のオタクの人は例えば綾波レイが好きであったとしても「綾波ナントカ」というペンネームにすることは、あまりないような気がします。それで、女性オタの行動が疑問に感じられるのでしょうか?

私の個人的な感触では

  • 「それほど強い意味合いはない」
  • 「単にカッコいいからとか、ノリでやっている」

という要素が、ほとんどの場合は大きいと思います(腐女子限定かもしれませんが)。

とりあえず、まとまりませんが私と私の周囲の事例はこんな感じです。何かの参考になれば幸いです。

* 記憶や印象で語っている部分が多いので、間違っていることもあるかもしれません。