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アニメスタイル:「コゼットの肖像」と色んなアニメを観よう大会

テニスの王子様

おもしろかった。作品の並びも的確というか「あ、なるほど」とつなげて見るきっかけを見出しやすい構成で興味深かったし、なかなかお目にかかれない作品を多く見れたのは収穫。

上映順に感想。

  • ボビーに首ったけ(35mm での上映)
    • 公開当時、この作品があることは知っていた。予告か何かでちょっとだけ見たことがある。片岡義男氏作品はおれの青春と時期を同じくしていないので、おれにとってこの作品が背景としている時代世界は「ちょっとまえのことなので一応勉強した」程度の縁。
    • 画面に溢れる自信まんまんの 80 年代テイストがどうにもおかしくてしょうがないのだが、皆静かに見ていたので笑う機会を逸した。冒頭の妹フラッシュダンスのところで笑いが起きていれば流れは変わったかもしれない。というか主人公(ふつうの日本人)の仇名が唐突に「ボビー」というのも大概だ。ただまあ、時代のものを時代のものとして描ききるという選択自体が当時にしてみれば相当に高度だったのかもしれないわけだよなと思えば、おかしいのと同時に偉いわけであって複雑。
    • あとおれは当時若者だったひとたちがアメリカにあこがれていた理由がわからない。なんかそんなによかったのかアメリカは。おれが知ってる時代のアメリカは、べつにそんな憧れるほどのもんではなかった。もちろんこのおれの感じ方は、かつての彼らの時代を踏まえて醸造された時代感によって形成されたものだろうから、おれにわからないからといってそうした時代がおれにとって無価値だとは思わない。
    • とまあセンスの話は置いて、映像技法に関してはいろいろへんなことやってるなー、しかもアナログの時代にかよと感心。音楽との同期に関しては、時期を照合しないことにはなんともいえない。
    • ボビーの顔から王立宇宙軍のシロツグ・ラーダットを連想した。この連想ははじめてではない。十年以上前、月刊 Newtype の広告かなにかを見たときもそう思ったことを覚えている。なんていうか「シロツグ=ボビーがもうちょっと歳食ってボンクラになったかんじ」というか。あとボビーの妹の顔から大友克洋氏作品に登場する女キャラを強く連想。セックスアピールが無機的なかんじが。これについては「当時はリアル調に寄せればなに描いても「大友っぽい」ということになってしまった時代だったかもしれない」と指摘され、まあそれはそういうものだろうなと思った。
    • ここで突然美少女戦士セーラームーンの話になるが、確か一年目か二年目の頃に出たイメージアルバム的存在の中で、各美少女戦士がそれぞれ理想とする彼氏に関して妄想するモノローグがあったんだけど、その中の水野亜美セーラーマーキュリー)の理想の彼氏が「白シャツに青ジーンズで浜辺で肌焼けてて」みたいなので、ああそれってまんまボビーのことじゃねえのかと、2005 年の現在にふとリンクされて笑った。80 年代趣味か水野亜美。ぼくのバイクは BLUE です。
  • コゼットの肖像 特別版
    • 公式 http://www.cossette.jp/
    • 今回上映されたのは OVA 全三巻を再編集したもの。
    • 高め安定の作画。美女てんこもりの地元商店街と富豪商売の世界を行き来する美形少年主人公。もとから地面との摩擦係数の低いキャラクタ。てことはもちろん、彼よりさらに地に足のついてない世界を前提とする美少女があらわれて彼を中空に吸い上げ、とんでらハウスが大冒険するお話だろう。事実そのとおりだった。
    • 鼻筋と上唇のラインを絶対に外さないエロ幼女が印象的。とにかくにもコゼットがかわいければそれでいいンだッ!万事オッケーですッ!というかんじであり、おそらくそれで正しい。話は「わかりやすく再編集した」とのこともあってだいたい追えたが、「なぜこういう流れがこういうシーンとして描かれるのか」とかそういう部分はよくわからなかったが、そんなこといちいち気にしないのである。
    • 「ボビーにくびったけ」からの流れで見ると、イメージ演出の自由度は、これはアニメーション界の科学力の進化よなと思いつつ、アニメに CG 使う場合にでもそろそろシェーダプログラマとかレンズフレア職人とかデジタル専門職の層が厚くなっていかないことには、ここから先へ進むのがむずかしいよなと思った。アニメにおける開発と制作のコストに対する考え方はよくわからないけど。
    • いまひとつマイナーな作品という印象で、ゴスロリ属性がローゼンメイデンとかと微妙にかぶってしまったのかなあとか思っていたが、あっちはゴスロリってよりドールでありこっちはゴスロリってよりは不思議であり、あんま関係ないのかも。
  • ロードス島戦記 英雄騎士伝 OP / ED
  • COMEDY
    • 関連インタビュー:http://www.ntv.co.jp/ghibli/web-as/topics/top020517.htm
    • 中澤一登氏が登場して座談会。氏の仕事として上記作品を上映した。ロードス島戦記は TV 版の OP と ED で、制作した頃はキャラ表もなく三ヶ月くらいで、作画はほぼ一人で担当したとのこと。OP はセルで ED はデジタル。セルのほうではデジタルっぽい画質感を目指し、デジタルのほうではセルっぽい質感を目指したみたいな話。過渡期作品だったんだなあ。当時おれこのアニメの本編は見なかったけど、OP と ED は作画良かったので友達に勧められて何度も見た記憶がある。あまり気付いてなかったが当時見せられたアニメは、作監とか原画とかそういった軸で整理されていたものが多かったし、その中でも中澤氏の仕事はかなり目立って印象に残ってるんだなあ。COMEDY のほうは少人数制作の小品で、スタッフの血液型が全員 B 型だったみたいな話。当時にあった「赤」への意図の話や、THE 八犬伝以降のフラフラ歩きの話など。
    • おれあんまアニメのひとの名前とか覚えんので中澤一登氏のこともよく知らなかったが、ああこの作品のひとかーと思い当たったのですんなりいろいろつながった。最近作だと「サムライチャンプルー」(http://www.samuraichamploo.com/)のキャラデザやってるらしい。
    • へんな書き方になるが、今回の上映会中いちばんアニオタ向けという切り口に合致した上映品目だったような気がする。
  • THE 八犬伝 第一話 万華鏡
  • THE 八犬伝 新章 第四話 浜路再臨
    • http://www.anime-int.com/works/8kenden/ova2/
    • アニメスタイル解説:http://www.ntv.co.jp/ghibli/web-as/07_data/hakkenden_s.html
    • 「とにかく新章の四話がすごい」との前説で上映された。
    • 第一話はふつうに当時一流の作画を見ることができた。ていうかおれこれ当時レンタルビデオでけっこう見てたこれ。思い出した。作画がいいような悪いような、安定しないアニメだなーと思ってたような。OP の演出とか ED の歌とか覚えてる。なんか敵役のひとの声が変わった回があったような。ブライト艦長の声のひとが。シャアの声のひとに。ちがったっけ。バイキンマンの声のひとだったような気もする。わからん。調べてみたら網干左母次郎(あぼし さもじろう)役で池田秀一氏が鈴置洋孝氏に併記されてるページがいくつかある。やはり天津飯フリーザ)でなくブライト(シャア)か。
    • 新章四話は初見だった。こ、これは…判断できない。すごいものであるのは間違いないのだが、すごいからといってこれを手放しに褒めることについてものすごい抵抗がある。けどこれ見ておれちょっとうれしくなってしまった。うう、なんだこれは。おれはこのようでないアニメならいっぱい見たことあるけど、このようなアニメはほとんど見たことがない。だから前提知識をもとに考えたり評価することが、つまりこのアニメに対してオタ的に振舞うための素養が足りない。
    • 抵抗感についてははっきりしていて、この回の絵はアニオタとしての既成概念から外れていたからだ。つまり「作画が良い」とはなにか、という問題。新章四話の作画は、良い、才能がほとばしってるかんじだ、すごい絵がたくさんある、が、それがアニオタとしての当時のおれが「望んだ良い作画」だったかというと、ちがう。いまとなってはおれはこれを良いと言えるし思えるが、当時にお金払ってこれを見ていたら、なんかものすごいショックを受けてしまったと思う。うあー、やばいもん見ちゃったみたいな。
    • きれいなキャラが色鮮やかにメリハリ良く動くとオタは安心するが、新章四話のキャラはものすごい勢いで崩れる。色はどちらかといえば鮮烈というより陰惨。動きのメリハリは良いとしかいえない。こんなアニメは天才的な人間にしか作りえず、だからこのようなアニメが多数派になることは決してない。キャラが崩れると書いたが崩れるとはいってもキャラ表に対して崩れていくという話であって、むしろ人間には近づいていってさえいるのではないかと思える。アニメ的に秀麗にデザインされているはずのアニメキャラの顔が、とんでもなく日本人顔になっていくのだ。ああ、日本!アジアン!モンゴロイド!野暮な等身!短い手足!長い胴体!しまりのない顔!つまり、美しくない!美しくない、が、そいつらがじつにイキイキとアニメーション!そして声優声でしゃべる叫ぶ!なんかすげえギャップ!だがそれが当然のギャップだったのかといえば、そうではないように思う。作られたギャップ。本来ないものだろう。ギャップの存在感を支持するのは、アニメというのはこういうものだというおれの既成概念の偏向だ。そこに対する反動としては、新章四話は最上級のものだろう。美形の殻が剥げ、土砂降りの暗い森で泥まみれの切り合い。凄惨な芝居。現れるのは重たい実体。軽いスマートな世界ではない。ないが、それでも美しかった。こいつらはむしろこの顔が本物だ。普段はアニメだからアニメの顔してるだけ。スーパー超人が悪人どもをバッタバッタと切り捨てるような世界観から遠く離れて展開される THE 八犬伝という作品には、むしろこれくらいの絵柄のほうがよく馴染む。なんとなくそんな気がした。
    • 今回の上映会中、唯一客席から笑い声の出た作品だったが(←ああいや、ベラドンナでも笑い声は出たかも)、おれは笑えなかった。画面に圧倒されてて笑う余裕がなかったというか。
    • フリクリ二話でパロディされてた作画ってこれだったのか。
  • la sorciere 哀しみのベラドンナ
    • http://columbia.jp/dvd/mushipro/animerama/belladonna_s.html
    • アニメスタイル解説:http://www.ntv.co.jp/ghibli/web-as/07_data/bella.html
    • 最後にとんでもないものが待っていた。猛り狂い渦を巻く 70 年代。ボビーの 80 年代なぞ消し飛ぶ。どころかベラドンナのイメージが今回のイベントのすべてを上書きしかねない勢い。ぬるい!ぬるいわ若造ども!というかんじだ。70 年代を黄金視するひとの気持ちよくわかるなあ。だからといっておれもあの年代に育ちたかったなどとは思わないけど。
    • 映像の実験度では上映作中最もアグレッシブ。センスについてはベタベタすぎて高低の評価は不能だが、有無でいうと間違いなくある。なんとなく江戸川乱歩原作の映画「盲獣」とか思い出した。ただし、あっちは黒だがこっちは極彩色。
    • ちんこマンだいかつやく!オットセイもびっくりの七変化。代替表現が生々しく、絵もエロい。ちんこマン大爆発!しかも二回!しょ、しょうもねえー。あすこは爆笑するところだろうと思ったが、上映時間も明方であり疲労もピーク、観客一同精根尽き果てて笑うどころではなかったかんじ。

イベントへの不満だが、次回からは大雑把でいいのでタイムテーブルを配布してほしいと思った。だいたいの時間がわかってないと休憩のタイミングが事前に測れず、疲労がたまってしまう。ロフトプラスワンだといつでもトイレいけるけど、上映メインだとそういうわけにもいきづらいというか。