オタ幻想の年輪
そもそもは、Google「ハルハ・ラハル」の現在一位が、
TRPG のキャラ表であるというあたりの話からはじまったのだが、なんか妙な方向に脱線オタ話化したのでメモ。
- 「三十代以上のオタは、コメットさんとかおジャ魔女どれみみたいな非日常的な設定(この場合は戦争とかではなく、魔法とかそういうの)の中で日常を描写する作品に弱い」みたいな言説があった。
- 80 年代オタ
- 「幻想世界で」「ふつうのひとが」「チャンバラする」
- それよりさらに辿ると「平凡なぼくの暮らしに」「アイドルが」「やってきて大騒ぎ」とかになるのか?
- 「幻想世界で」「ふつうのひとが」「チャンバラする」
- 90 年代オタ(人畜無害系)
- 「現代で」「幻想住人が」「ふつうに暮らす」
- これって魔法少女もの(サリーとかモモとかマミとか)?それが男オタに「発見」されたと。
- そこをベースに「幻想の現実化」と「現実の幻想化」という双方向の影響の描写にリアリティを求めた、というかんじですかね。
- 「そのフォーマットはマジカルエミで完成された」説
- 「現代で」「幻想住人が」「ふつうに暮らす」
- 90 年代オタ(DQN 系)
- あとそこからさらに経って「○○の世界エルハザード」とかが出たときには「うわー、いかに AIC 社の仕事といえどもこりゃ逆行しすぎだろ」とか思ったものでした、が、あれはあれで受け皿がちゃんとあったかんじなのでそれはそれと。
- 90 年代オタの秘孔
- 「現代で」「幻想住人が」「ちょっと不思議なことをする」
- 要するに元魔女の原田知世氏がガラス工房とかでうだうだしてると君に胸キュンであっておまえにハートブレイクですよと。あべし!
- 「現代で」「幻想住人が」「ちょっと不思議なことをする」
- 90 年代オタの弱点
- 「幻想世界で」「幻想住人が」「ふつうに暮らす」
- この方向については、我々の世代では一流を築くところまでいけなかったろう。我々よりやや上またはやや下あたりの世代で道の追求に没頭したような一部のひとたちは到達したかもしれない。
- 「幻想世界で」「幻想住人が」「ふつうに暮らす」
- TRPG ファンタジーにおいて「異民俗を理解できてないうちには、異世界を設定するとしても最低限そこの住人たちには(遺憾ながら)パンでなく米を食わせるべきだ」というのが、中学時点でのおれの結論。以降特にそのへん考えたことがないので、いまもあまり変わらず。
- このへんの「本格派へのあこがれはありつつも、自身については知識や前提の不足を認めざるをえない(あらかじめ挫折してしまう程度には知識欲を持ってしまった不遇感への鬱屈)から、どうせ馬鹿だよ想像力ないからくだらない夢しか見れないのさおれたちはというよーな、半ば自棄気味の開き直り」から、90 年代オタ発のファンタジー観はスタートしている気がする。
- 80 年代終期〜90 年代初期、やまむらはじめ氏や米村孝一郎氏の漫画同人誌をはじめて読んだとき、そのへんのノリの移り変わりみたいなものを示唆的に読むことができておもしろい体験だった。あの時代の潮目を描いていたと思う。
- その辺の漫画家群とアニメ「Kurau」は深い関係があると思っている。あのアニメを見た時に最初に想像したのは、伊達春(松本嵩春)氏とかの少年創作系同人誌の匂いだった。
- 漫画オタ関連
あと、肝心のフリクリ in インターネット問題についていただいた有意な情報は以下。