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後宮小説

新宿駅 | テクノフォント

Amazon のデータ(http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4103751010/)を信じるなら、この本の初版は 89 年の 12 月に出ている。その単行本を、出てわりとすぐに買った覚えがある。遅くとも 90 年の一月か二月頃だろう。文庫化は 93 年の四月。文庫版が出ていたことは今回買うまで知らなかったので、文庫版を買ったのは、出てから11 年と七ヶ月後ということになる。

なんで当時おれがこの小説を買ったのかよく覚えてない。でもまあガキの考えることなどはどのみち単純なので推理はできる。

  • 本屋に平積みされていて、「ファンタジーノベル大賞受賞」とかなんとか帯に書いてあった。
    • 「あーなんかおれに関係ある本かも」
    • 「これなら日本のひとが書いてるしむずかしくないかも」
      • 記憶の順番に自信がないのであれだが、たぶん当時、エルリックサーガとか読んでみたが、話はわけわからんなりに一応追えるんだけど、おもしろさを味わうための前提が自分にはまだないかんじだなあとか、ファンタジーはファンタジーでも壁に突き当たっていた。
      • 余談だがおれのその時点までのファンタジー経路をいまてきとうに思い出しながら大雑把に並べると、たぶん、エルマーとりゅう(シリーズ)→おおどろぼうホッツェンプロッツ(ペトロジリウス・ワッケルツァーさん)→かがやく剣のひみつ→コロボックル物語(シリーズ)→ゲド戦記(シリーズ)→タランと角の王(シリーズ)→ホビットの冒険(シリーズ)→エルリックサーガ(エターナルチャンピオン全般)とかそんなかんじ。あ、クトゥルーはどこに入るのかしら。あと日本 TRPG 系ファンタジーものでいうと、鷹の探索とかロードス島とかあのへんがコロボックルとゲドの中間くらいかな。で思い出したがゲームブックファンタジーものがさらにかがやく剣のひみつあたりとかぶってくるか。S.ジャクソン氏とか J.H.ブレナン氏とか。ドラクエとかナルタジーとかの影響も絡んでくるし(おれの場合ファミコンゲーの影響はそんな強くないんだけど)、一概にいえないなあ。
  • 普段、文庫とか古本とか安い買いものばかりしているので、たまには厚い装丁の本を買っておきたいという背伸び意識と合致(←だいたい季節に一回くらいのペースでそういうのがあったような覚えが)。
  • 後宮」という単語がエロを連想するが、まじめそうな装丁でもあるのでふつうのエロ本より買いやすい(←たぶんこれが六割くらい)。
  • 小難しそうな雰囲気だが、パラパラめくってみるぶんにそんなにむずかしい字もなさそうだから、ええかっこしいツールになるかも。

で、当時の感想だが、結局これもエルリックサーガ同様に「よくわからない」なのだった。知識や前提不足の問題もあるが、そうでないものの理解がむずかしかったからだろう。より率直に言うと、この本を書いた酒見賢一氏という作者のひとがなんとなく怖くなった。なんか目の前でひとが惨死しても表情変えなそうなイメージ(←この感じ方は、子供の頃 TV でムツゴロウさんであるところの畑正憲氏を見て、その笑顔の瞳の奥にあるものがわからなくて、ただ怖ろしくなったのと同じ仕組みかもしれない)。文章読んだくらいでそんな具体的な印象受けてもしょうがないのだが、いまにしてみればその仕組みは理解できる。ようするに酒見賢一氏の書き手としての視点が、当時のおれからはずいぶん大人に見えたのだ。いやそれは当時「大人」という言葉では説明できなかった。無常を無情と読み、無情は非情として腑に落とす、稚拙な分解能の仕事だ。坊さんと悪人の区別がつかないかんじ。いやそういうものでもなさそうだな。いまだ書けるほどにはわかってないのかもしれない。

洋製ファンタジーの場合は子供向けならそれなりで、子供向けでなくてもそれはそれで超然としてるかんじなので読む年代はあまり関係ないのかなあと思って、ひるがえって和製ファンタジーっていうと、もうちょっと子供に視点を寄せてるかんじかと思ってたら「後宮小説」の場合ぜんぜん遠慮してないかんじだったから、そこで予想外の突き放しというか、ショックを受けたんだろう。その痺れを酷薄さと捉えた。べつにそれがいやだとか思ったわけではない。ただおれにはこれは早過ぎたかもと思った。あんまエロさがわからなかったし。

そのあと数年後に読んでみようかなと思ったが、そのときにはもうどこかに行ってしまっていた。

で、先日の朝、いよいよ手元残り二冊となった航空宇宙軍史、「巡洋艦サラマンダー」を探したが見当たらず、当座読むものがなくなって困ったのでなんでもいいから活字を補充〜と思って本屋にいったときに、なつかしい後宮小説の文庫をみつけたという次第。実に 15 年ぶりくらいだ。いまならおれはこの本をわかる。おそろしくない。おもしろい。ばかりか、詰めの甘さまでわかるようだ。それも長所に働いている。なるほどファンタジー。これはいいなあ。

ようするにこれは素面で酔っ払ったような、与太話であり、洒落であり、冗談みたいなもので、しかしそうであったとしても決して軽くなく、しかし軽やかで、つまり絶対的ななにかでなく常に「相対的に等価か、または無縁」のものとしてあるという、小説なのだ。かしこまったり怖れたりする必要はまったくない。ただ読んで「あー」とか「うー」とか自分に相槌をうったりうたなかったりすればいい。よくもまあこんな話書けるものだなあ。これを 24 歳だか 25 歳だかで書いたという酒見賢一氏は、いいおっさんになるのだろう。あれから 15 年くらいだから、いまはもう 40 歳手前くらいか。じゃあもうなってる。漫画家でいうといましろたかし氏がすげえだろうと思っているが、小説家でいうと酒見賢一氏みたいなおっさんもさぞやすごかろう。