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東京タワー

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東京タワーか!そうか!よし!殺す!という勢いで東京タワーを目指していたら東京タワーに着いちゃったよ。ばかそっちじゃねえよ田町だよ。寄り道しねえつっといてしてんじゃんおれ。まあいい。メガストラクチャには引力があるからな。構造体!構造体!東京タワーは東京人にサービスを提供しているかもしれないがそのシンボルとしての効能は田舎人のためにこそある。東京に住んでなけりゃ東京タワーの本物なぞはいらねえ。東京に住んでるひとがシンボルとしての東京タワーなんぞいらねえってのと同じくらいいらねえ。けど逆をいえば、シンボルとしての東京タワーなら、サービスとしての東京タワーはまあ要らなくもないかなと東京人が思う程度には、田舎人には引力があるのだ。そこいらへんの揚げ足を CLAMP にうまいこと掬われた格好になる「東京 BABYLON」とかに対しては、田舎人として忸怩たる思いの一席くらいはぶてる分量がなくはないっていうかまあ、べつにそれはそういうものとしてどうでもいんだけどまあ。いまここで書く話でもなかった。ここっていうのは東京タワー芝公園スタジオ脇の斜面んとこ。全方位にわたってカッポーどもが濃密なキスに余念なく、ママチャリオタ単身としてはひじょうに居づらい。帰れ。向かえ。田町に。または登れ。タワーに。

もちろん登らない。その選択肢はないのだ。馬鹿シンボルに登るやつがあるかよ。東京人はあんま東京タワーには登らないそうだが、もちろん真の田舎人もまた東京タワーに登らないのである。あれは見上げれば十分だ。このあたりの心理は、おれがドラゴンものよりもロケットものを好むという嗜好とも関連していると思う。ロケット(打ち上げもの)とドラゴン(=打ちあがりもの)は似ているが、立ち位置がまったく違う。ドラゴンものの主人公は竜の背に乗り空を飛ぶ。ロケットものの主人公は打ち上げ管制所から昇って行くロケットを見守るのみ。わざわざ自分で空まで登ったところでたいしたことじゃない。けっきょく上にのぼればやることは決まっていて、それはつまり地上を見下ろすことだ。自分自身は飛ばなくともロケットものの主人公は雲をつきぬけ宇宙を見据えているのだ。どっちが優れているってことでもなくどちらも必要なのだが、どちらを選ぶかは嗜好の世界であり、それならおれにとって自明のことだ。

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おれが東京タワーに登るとき、それは実体としての東京タワーでしかないのだ。そんなものはおれの知っている東京タワーではない。もちろん、おれの知らない東京タワーもまた、メガストラクチャとして十二分の魅力は持っているわけだから、それはそれで登りたい気持ちはあるんだけど。まあ階段でだよな。エレベータとか信用できない。