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さよなら I seek you

ICQをアンインストール。大した理由はない。

  1. [感想]昔に比べるとICQはずいぶん挙動がうざったくなったなあ。あと動作が軽快じゃないかんじが。ていうか最近ちょっとうざったくなってきたんですけど。
  2. [検討]おれはICQがなくても死なない。
  3. [決定]アンインストール

捨てるかどうか悩むっていうフェイズで「おれは○○がないと生きていけないか?」くらいしか考えないので、捨てようかなあと思いはじめたものはだいたい捨てることに決まっている。

物心ついた頃それがあたりまえにあったなら、おれは捨てることができないだろう。おれは電気を捨てることができない。キーボードも捨てられない。いずれインスタントメッセンジャをアンインストールすることのできない世代だってあらわれるかもしれない。単に困るとか不便とかじゃなくてなかったらどう生きていいかわからないとかまで食い込んだら。

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Windows Messangerもアンインストールしようかと思ったけどWindowsの箱を探すのがめんどくさいからやめた(アンインストールするのにディスクが要るらしい)。インスタントメッセンジャは、使うけどなくても死なないからなあ。情報化の深度が深まっていく昨今だから、サービスを取捨選択していかなければならない。あるサービスを片っ端から利用しているようでは高度情報化社会上にある人間とはいえない。おれはそれになりたい。ので捨てる。
…けどこのやりかたはすでに後手に回っているかんじがするよな。「気がついたら最適の環境になってました」くらいでなければならなかった。そうなれなかったから無自覚なままでいられていない。かっこわるいひとはかっこつける必要があり、かっこいいひとはかっこつける必要がない。ということはつまり、かっこつけてるひとは残念ながらかっこわるいひとなのだ。
おれは自然に情報動物になることができなかった。意識的に動物化していくほかない。


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むかしは不便なものが単に不便でそれはゆるぎなくどうしようもなかったが、いまはむかしに比べると不便なものが不便なまま残っていたりしない(めんどくさいかたちで残っていたりはする)。かなり生活の舗装が進んでいる。道のないだだっぴろい駐車場のようなもので、新しい連中はまあそれがスタート地点なんだからどうでもいいとして問題なのはそうじゃない時間を経験している、つまりおれとかの今後の処世だ。

どうあるべきか。いきなり平面に放り出されても手がかりがないので動きようがない。またはやみくもに暴れて疲れるだけ。手がかりというのは、不便さのことでもあった。いかにして自分の暮らしの中に便利や不便を配置していくかが問題になっていくはずだ。うまくマップエディットするのだ。そうして自分でデザインしたサーキットを巡航したり逆走したりして楽しまなければならない。ゲームとは反復のことで、それは人生を箱庭化し模倣したものであるはずだから、日常をゲーム的にデザインするのは外れたことではないはずだ。
ゲームプレイに対するレベルデザインくらいには違ってきている。そういうことをやってまでして生まれついての暮らし方を通そうとしている。それは自然だ。残念だ。能うかぎり不自然に留まりたいんだけどむつかしいなあ。おれは動物になりたいが、なることを望んでいない。この自縛状態はオタそのものだ。