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僕たちの好きな

sawadaspecial.comの「もの凄い勢いで発売される「僕たちの好きな」シリーズ一覧」(http://sawadaspecial.com/mt/archives/000162.html)を見て、以前このシリーズを本屋で見かけたとき素通りしつつ抱いた感想を思い出したのでメモ。
「僕たちの好きな」っていうフレーズは、そのタイトルとしての趣旨説明の明快さ(どういう層にどういう方向性でどう読んでもらうことを目的としてその本が作成されたかがタイトルを一目見ただけでわかるようになっているという点)において他に類を見ないほど優れていると思う。それゆえにおれはこのシリーズを買うことがない。
スピルバーグ氏の映画のCMと同じでその商品が自分にとって「おもしろいか」「つまらないか」が一目見ただけでわかる仕組みになっており、そして「僕たちの好きな」という企画意図はおれにとって有意義な時間を提供しないだろうと一目で判断できるので素通りする。情報→判断に時間を取られないのでたいへんありがたい。
他人がしこしこ作ったエロ本を買うぶんにはやぶさかでないが他人がせこせこ作ったズリネタ集を買うってのはどうなんだと思うわけだ。そんなもの自分で作ればいい。でもあれだな、こういう本がなんのかんのと続いてしまうっていうのは、それだけ世間のひとが自分で自分用のズリネタ集なんか作ってるひまがないからそこいらへん全部とはいかないだろうけど大多数の部分をフォローできてそうな市販品買って済ましとくかみたいな気分になってしまいがちなほどに忙しいってことなのかな。
なんかこう多様化と画一化が同時に進んでいてどっちが主流ともいえそうにないからオタ周辺の状況もむつかしくなってきた。浅オタと濃オタの乖離並行状態みたいななんとかかんとかとかもよく言われるが、そういうことじゃなくて朝まで生テレビみたいなこの現状のつまんなさっていうのは、まさしくこういう状態のことなんだなというか。まだよくわからん。