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オタファッションとしての作務衣雑感

滅びつつあるオタ様式を、時流に沿わず自ら踏襲するという意味での個人的保護に比較的熱心なおれとしては(たとえばおれが日記でひとの名前に執拗に「氏」をつけるのは、「そのほうがオタっぽいであろうから」との判断からであり、これは往年のオタ同士が会話上で「○○氏が…」みたいな言い方をしていたという記憶に依拠している)、作務衣オタについてもメモしておかねばなるまい。けどいざキーボードに向かってみると案外書くことがなかった。なんだか単に「むかしは居たよね」で終わってしまう。

もうちょっと無理矢理書こうと努力してみると、まあとにかく「オタクにとってファッションというのは機能である」ということだ。これはオタファッション系のサイト群でもよく言われていることであるし、おれもそれに同意する。似たような「むかしはけっこう見たけどいまは全然見かけないオタファッション定番」としてカメラマンジャケットがあり、案外作務衣とカメラマンジャケットは対極にあるかもしれんなと思ったので並べてみよう。

  • 作務衣にせよカメラマンジャケットにせよ、とにかくにも「丈夫」であり「着脱が容易」である。大雑把な構造で、身体拘束性も低い。これらはとても重要なポイントなのだが、そこから詳しく書き出してしまうと終わらないので省略。
  • また、オタがファッション音痴だとはいっても、子どもにだって性生活があるのと同様に、オタにもそれなりのファッションセンスというものが存在していることは書いておかなければならない。その顕れが非オタのひとと多少違うだけだ。だいいち、見た目は服飾に当然期待される機能のひとつであるから、機能を重視するオタがそれを無視するはずはない。現代日本で作務衣やカメラマンジャケットを着ることにより得られる機能とは、つまり「ああ、それを着ているひとなんだな」と一目でわかる説得力というか、ある種の「他人から説得されるつもりのなさ」が表現できるという点にある。これがふつうの T シャツだったりデニムのジャケットだったりするようだと、そのひとが着ているものがほかの衣類であってもよい可能性について連想させずにはおれないが、作務衣やカメラマンジャケットであれば、それを選ぶに至った自己決定の手続き感が、余計な詮索の余地をすり潰すのだ。
  • 作務衣はオタにとって部屋着、または庭先や近所(オタが自宅テリトリーと認識している自宅周辺ブロック内)に出歩くときの格好だ。ポケットがなく、モノを携行する格好ではない。逆にいえば、モノを携行する必要のない環境にいるぶんには「不要なポケットがない」のが美点となる。オタにとって己を取り巻く環境のうちどうでもいいものは、可能な限り(主観視点で)その他大勢に埋没した最適の存在としてあるべきで、その意味で「趣味全体におけるファッション」と「住環境周辺における作務衣」の対称性(こだわりたくないがゆえに偏る)はオタとしての合理のうえで当然の帰結といえる。
  • カメラマンジャケットはオタにとっての屋外着である。オタの生態は基本的に(サバゲーオタや昆虫や野鳥好きなどの例外はありつつ)アーバンなものであるから、野外着という表現はふさわしくない。また、オタは人生のスポットライトを避けて歩く種類の人類であるから、晴れ着という概念も基本的にない(オタが晴れ着を纏うのは「オタとしてではない」人生の場面においてで、その他の例外としては「コスプレ」がある)。オタには局地戦を認めず標準装備で戦い抜きたいという願望があるので(関連→http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20041218#p1)、どのような場であれなるべく仕様変更しない。カメラマンジャケットを着るオタは、どこへ行くにもカメラマンジャケットと共にある。カメラマンジャケットの美点は、とにかくにもポケットの数が多いということだ。オタはなにかと携行品が多いわりに手を拘束されるバッグなどを嫌うので、必然的に(多量の携行品から両手をフリーとするために)ナップザックを背負うなどするわけだが、カメラマンジャケットの容量以下に基本装備を抑えることに成功すれば、ナップザックからも開放されてウハウハ。小物入れという点ではウェストポーチというオプションもあるが、それだけだとオタだかオッサンだか判別できないために、ここはやはりカメラマンジャケットにこだわるべきであろうと思う。往年には「ウェストポーチをゴテゴテぶらさげてカメラマンジャケットもパンパン、さらに長物(ポスター)を数本無造作にぶっさしたギュウ詰めのナップザックを背負い、手ぬぐいをバンダナ風に頭に巻いて汗まみれでやけに爽快に挨拶する、礼儀正しく恰幅のよいオタ」という、額縁に入れて飾っておくのが勿体ないほど神懸かったファッションのオタも実際に目撃したことがある。おれごとき「勉強してオタクになった世代」は一生かけても及ばない領域にこのひとは在ると感じ入ったものだった。

もちろん、おれは作務衣もカメラマンジャケットも所持している(大学入学後、国道沿いの作業服店で真っ先にそろえたことが思い出される。オタらしい基本ファッション一式を揃えようと思うなら、なにも UNIQLO になど行かずとも作業服店と生協で十分なのである)。オタとして生きるうえでそれらを持っておくのが適切であろうと判断したためだ。作務衣のほうは最近はあまり着ないが、じっさいこれらは実用品として十分以上のものだったし、いまでも問題なく通用している。余談だが、自分用の白衣も一着ある。あるいはそれが極めて珍しい「オタとしての晴れ着」であったかもしれないのだが、それを(その必要のない場でわざわざ)着るのもまたマイナーオタファッションのひとつであったと記憶しているためだ。だけども、マイナーすぎておれがそれを着る機会に遭遇することは一生ないかもしれない。

あと、伝統的オタ口語フレーズ「ゆーかおのれわ」と「すなたわけー」についても、いずれ調査&保護をしていきたいという意思はあるが、なにせ口語でありどうアプローチしていいものか考えあぐねて停滞中。思い出したついでだからメモしておくけども、遠来のオタ友が来たとき近在のオタ仲間が集まって歓迎会をひらくときそれを「○○さん迎撃 OFF」と呼称するのも伝統保護の一環。