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危険を考えるときに危険でないものなどはない

だいたい冗談で冗談をやっているというありさまがおもしろいわけがない。いとうせいこうだって言っている、TVで芸人が「ヤベー」と言ってるときそこに本当に危険な状況などはないと。笑いながら電源を引っこ抜いて放送事故を起こすようなやつこそが本当にやばいのだ。特別な気分でやべーやべー言いながら盛り立てて行事を行ってる連中はその時点でつまらない連中だということが大決定されているのだ、それは自分自身でそのことを保障する行為だからだ。
普通にやっていることが冗談にしか見えないからおそろしいし、おもしろいのだ。おもしろさは危険さで、狂気の副産物だ。安全な娯楽などというものはないのだ。レトリックだ。複雑系の時代が生んだ錯覚だ。特別なものでなく狂気はどこにでもだれにでもある。普通こそ狂気だ。死の予感だ。いずれ死ぬから生きているのだ。そうした現実を詳らかにしてしまうから狂気は普段あまり意識すべきものではないのだ。

マリリンマンソンが危ないという、なるほどそりゃあぶない。間違いない。当然ボーリングもあぶないのだ。狂気だ。ボーリングを規制しないならマリリンマンソンを規制するのはどうよ?とかいうような半端な温度の論理ではない。ボーリングだって規制すべきなのだ。いたって正常な判断というものだ。もし「普通に」そうならないなら、それこそが狂気の理というものだ。きちがいが常識をふりかざして普通をドラマに、ドキュメンタリーをエンタテインメントに変えていく。固着したフィルムの意味さえ塗り替える。そうして安全に受け止めたつもりでいる。なにも変わっちゃいない。現実は危険だ、本当はやばい、彼ら自身こそがだ。

世界は狂っている。

とかなんとかものすげえ適当な言葉遊びで見たこともない「Bowling for Columbine」(http://www.gaga.ne.jp/bowling/)などを肴に知ったふうな口を叩いてみる夜。

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Aさんが映画に関しておれが共感する部分はないがそれはそれとしてとてもいいっていうかすごいシャープな分析をしていたような気がするんだが会話の内容を思い出せない。筋道だった話ではなくてなにか会話の間でボロっと出てきたような一言だったような気がする。