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  • 「人間瀕死の窮地に陥ったらどんなことでもして生き延びようとする」なら、どうして都会で餓死者が出るんだ。追い剥ぎでもなんでもして生き延びるか、そこまで追い込まれる社会的弱者なので高確率で返り討ちで叩き殺されたりして、餓死はしないんじゃないのか。これ「圧政に苦しめられた民衆は必ず革命を起こす」みたいな確率の話なのか。
  • 「おれはたぶん戦争になったらなんとなくみんなと一緒に戦場に行ってみんなと同じようにひとを殺すし、みんなと同じように死ぬし、みんなと同じくらいにしか死ぬことを恐れない」みたいな恐怖てのがあって、でもこれ恐怖といっても理性側っぽいので薄弱なんだよね。本能が生きようとするってのはそうかもしれんが、たとえば「あのビルまで走れば助かるぞ!」みたいな情報処理あってこそベクトルを与えられるもので、これもなにか頼りになるようなかんじがしない。「本能で生きようとするはずだ」ってのはもっと単純ないきものの話で、人間くらいになるともう「頭使わないと必死になれないので頭使えなくなると生きようとしなくなる」みたいなのもありそうやな。
  • ほんと「意志の力でなんでもできる!負けを認めないうちは人間は負けない!」とかいうなら意志の力で 1,000 時間くらい寝ずにいてみろよと思う。
  • あとなんか「エリート教育で重要なのは「いかにしてじょうずに負けるか」だ」みたいな話ちょいちょい読むんだけど、じゃ引っくり返して「負けを認めたら負けなので負けを認めるな」てのがつまり下層民教育ってかんじ?そのへんでいうと「めんどくさい」はつまり敗北感、挫折感、自尊心みたいなものもまるっとゼリー状に包んで「まぁしょうがないね」でおしまいにする処理だから失敗からなにも学ばない、したがって教育機会が少ないので損、というのがたぶん理屈だ。より下層に落ちる。
  • 自分が負けるときに、引き際を綺麗にして長く引きずるコンプレックスみたいなものにしないように処理しつつ、自分に勝った相手に敬意を払って今後の協調関係を構築する伏線を張りつつ、次同じ状況に陥ったとき今回よりうまくやれるようノウハウや考え方を持ち帰る、みたいな?

これに失敗すると負けを延々引きずってルサンチりながら勝った相手を正視できずに恐怖感から盲信するようになったりして、これはなんというか三下教育だ。面倒くさいと思えてるうちは「成長しなくていい」と思えてるってことだから、自己肯定感が足りていて、たぶんだいぶマシなんじゃないかなあ。まぁでもこれ餓死するまで続いちゃうよね。