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ところでソーシャルゲーム大勝利気運の影響で用語「カジュアルゲーム」の影が薄いよね最近

theinterviews.jp で回答した post をパピポして日記がわりにするんだけど、日記文体としてデスマス口調は気持ち悪いので多少増補改訂するぜシリーズ。

iPhone がコンシューマー機を駆逐するかも、なんてことが言われていますが、ゲーム感的にコンシューマー機のゲームと iPhone のゲームは競合するものでしょうか?

「どこでそんな寝言が!」というのが正直な回答になるが、もうちょっと不誠実かつ冗長に回答すると以下。

  • iPhone が、ではなく、携帯電話機が、という危機感なら家庭用機側が長年持っていた懸念の話だ。おれの認識によれば、携帯電話をゲーム専用機の仮想敵とする歴史は i-mode ゲーらへんからスタートしている。その構図を iPhone のゲームだけに限定するのは矮小化しすぎだし、これまで様々に試みられてきたゲーム業界側のテコ入れ策の経緯を軽視しすぎだ。
  • いち消費単位としてプレイする感覚でいえば、家庭用機ゲーと iPhone ゲーは競合しない。全然別。別なんだが、メタ語りオタとしていえば、まあ競合するだろうね。それはプレイ感覚がどうのという話ではなくて、ユーザの可処分所得&時間にそれぞれのプラットフォームがどうフィットするか、という構図において。
  • iPhone ゲーは「優れた iPhone ゲー」として作りこまれていなければ楽しくないし、コンソールゲーには「優れたコンソールゲー」としての洗練が必要だ。おれは家庭用ゲーム機で育ってきた時間の長いゲーオタだということもあって、感触においても歴史においても家庭用ゲーム側の感覚を基本的には支持するが、しかしおれが待望するような家庭用ゲーが iPhone でリリースされるとしたら、たぶんそれはあまり楽しめないゲームになる。iPhone ゲーとコンソールゲームは全然利用シーンが異なるから。利用シーンに最適化されていないゲームは不完全燃焼を生み、そんなものはたのしいとはいえない。
  • あのな、そもそも、ゲーオタにとってハードウェア同士の個別の戦局などはわりあいどうでもよくて、問題なのは「どういうゲーム生活こそがゲーオタにとってすばらしいのか」という、それぞれのハードとそれに付随したサービス同士が想定し提案しているビジョン同士の戦いなのだ。で、これもまた、ゲーオタ界隈にとっては新しい問題ではない。そうしたビジョン同士の戦いは、旧来のゲーム業界内でハードの世代を超えて長らく繰り広げられてきたからだ。近年スマホゲー界隈が新規プレイヤとしてこの戦いに参入してきたという話だ。コンソール現行機にせよ iPhone にせよ、百年戦争の一時期を彩る儚い花にすぎない。戦いは今後も続くだろう。たぶん家庭用ゲームこそが中原であった(と家庭用ゲーム機オタに思えていた)時代はそろそろ終わるが、それは iPhone が掴む勝利とかではなく、たんに家庭用ゲーム機がその内側に抱え積み重ねてきた事情による重力崩壊だ。

…いちゲーオタとしていえば、提案される利用シーンのどれかひとつに縛られて生きるなど御免で、同時代のあらゆるシーンを体験して生きていきたいというのが正直な欲望。だけど、貧乏で寿命もある人間としてはどれかを選択せざるをえない。選ばざるをえないというのは、ただ単に残念な話で、残念さが反転して「これこそが素晴らしいのだ!」とか強弁するのは、一種の逆切れや痩せ我慢なのだ。それはそれで、悪くはない。

とかなんとか。