最近のインターネット
- ダメージジーンズてダメージドジーンズじゃないの。でも言い難いからダメージーンズでいいんじゃないの。愛称ダメジー。
- 再三書いてる気がするけど、インターネットの個人サイトまわりに返信義務を伴うコミュニケーション機能なんてものがあってしまうと困るだけだ。嫌がらせとしての忙殺攻撃が有効になってしまうし。掲示板に精力的に全レスする管理人がコンテンツ作る心的時間的余裕を失ってサイト閉鎖とか何度も見てきた。近年のソーシャル機能拡充により「コミュニケーションこそが本来」みたいなノリが強くなりすぎて、「いや別にコミュニケーションしたくてネットやってるわけじゃないんで」みたいな態度が異質なものとして扱われかねない場面も出てきている。困りものだ。
- 鍵付きの空間への退却て「閉じ込められる!」みたいな感覚もあるのかもだけど、なにかに鍵をかけられるようになることって基本的に嬉しいことじゃないのかなって気分もあって。思春期に入って、子供部屋に鍵をかけられるようになったときの全能感とか。まあおれ結局鍵付きルームを持ったことないので想像だけど。鍵って権力じゃないですか。
- 地方でも東京でもそれなりにヌクヌクと暮らしてきたおれの立場からは、リアリティを伴うポジショントークはむずかしいところなんだが、しかし「都会は冷たい」「田舎は人情があって暖かい」みたいな偏見には辟易だ。どっちでもひとのいい人間はひとがよく、そうでない人間はそうではない。比率からいって「都会の冷たい人間」の大部分は地方出身者だろうし、そういう彼らが上京したのは、田舎が暖かくはなかったからではないのか。あとまあ逆の偏見として「よそ者への冷たさでいったら都会より田舎のほうが上」てのはある。そりゃそうだ、都会というのはつまり、原住民の好むと好まざるとにかかわらず、連綿とよそ者を受け入れ続けてきたから、都会になっていったという経緯を持つ。