ゲーオタとゲームメディア関連の個人史的雑感
Twitter でゲームメディア関連の話題が盛り上がっていたので、自分もちょっと考えてみたときのログ増補改訂ログ。
- おれの場合、いい歳こいた今になっても、ゲームに関しては基本的に友人知人が一番のニュースソースなので、ゲーム雑誌の重要度がいまだに高くならない。というか、雑誌やメディアに頼らなければならなくなるようなルートを回避してオタ生活を設計してきた。そのうえ近年はネットの重要度が増してきた。そして、その勃興したネット上のゲームメディアすらほとんど使っていない。
- ただ、じゃあ友人知人のソースに頼っていれば安泰なのかといえば違うから、やっぱほかの手段をちゃんとやりこんどいたほうが豊かだなあとは思っていて、しかし、手を出しあぐねている。
- 観測範囲の偏差が起きる、というのと、目に入れる情報純度を上げる、のバーターで、一番ラクで気持ちのいい方法が手元完結(生活圏で完結するオタコミュニティ)だという話になってしまっていて。確度の低いソースしか周囲では確保できない、みたいなことだって当然あるから。重要度が高いと思うことにはどのみちコストをかけざるをえない。あと確度を上げたいと皆が同じ方向に動くと偏差が高まってしまう。
- それが「往年オタて仲間内でなるべく専門分野が被らないように調整して仲良しグループを形成していた気がするけど、いまどきは全員同じものが好きってほうが集まりやすいんだよなあ」問題とかと微妙に連結してたりもする。そこにさらにゲーマーソーシャルみたいな囲い込み商売の流れが加わると、「360 オタの幸福な閉塞感」みたいな話に。この楽園は最高なんだが、やがて我々を滅ぼす…という漠然とした未来予知。
- 戻って、ゲーオタ当事者としての視点でいうと、友人知人ネットワークさえ健在ならそこで問題なくオタ生活を満喫できるだけの情報は確保できる。だけど現在の自分たち以外のシーン、および自分たちの未来のシーンに関係のある情報を知っておくことは有益だ、という話もあって。
- そこで総合的なゲーム情報の見渡しができたいっすね、という話になるが、いっぽうで、これだけ多様化して個々の最先端が見えなくなってしまってる現在に、総合的な視野が果たして確保できるのか、また確保できたとしてそこに立つ意味があるのか、みたいな感覚が芽生えてもいる。
- それでも橋渡しが必要なのは当然…なんだけど。どの程度のなにがあれば、同時代のまともらしいオタ見識と呼べたもんかね、という感覚の策定、みたいな話な気もしてきて、しかしそんなものの共有よりは個々人勝手にやった結果つながってくるものに期待しときたいで済ませるほうが実質的だよな、愚直なシーン実践という話でしかないが、それ以上に大事なことなどはない、みたいな。
- …で、そのような個々人勝手にやった結果つながってくるものへの期待、というのは、たぶん具体的にゲームサブカル専門誌界隈の本や同人誌とかを買え、ということに、なるか。じつはゲームじゃなくてアニメに関していえば、「よくわからんけどオトナアニメあたりは定期購読しておいたほうがいいんじゃないだろうか…」という気分が近年芽生えているので、なんか個人的にはそこいらへんに落としてお茶を濁しそうな予感。
とか。
- 余談として、ゲーム雑誌関連でいうと「雑誌インタビューに出てくる、いはゆる "ゲームクリエイター" が現場の人間ではないので信用ならない」みたいな不信感を 90 年代に強く持った。32bit 機以降、わりとちゃんと実際作ったひとが前面出てくるようになったけど。それでも「現場の個別で具体的な話こそを読みたいのだ」という思いは解消されなかった。
- メジャーな雑誌に露出するのは実際の開発者ではなく、プロデューサークラスとか広報担当が多いってのは、たぶん「ゲーム名人」みたいなゲームメディア上の流れからなのだろうなあとか想像していた。
- その記憶があるので、近年の洋ゲーネットニュースメディアのインタビューで、ディレクタークラスの人間がガンガン出てきてかなり具体的なことまで喋ってるのを見て、あーいい時代になったわーと思ったりしている。それでも、やっぱり「実装担当者の話」みたいな突っ込んだところまでは、なかなか行き渡らないかんじだけど。
- あと「実際に担当者したひとなんだけど、言ってる内容は「とにかくすごいんだ、そしておれたち頑張った」だけ」とかいうパターンも結構ある。ハリウッド大作映画の特典ディスクインタビューノリ。あれ雰囲気いいけど雰囲気だけなのではびこられすぎると困る。
- そういう経緯もあって、Assassin's Creed におけるジェイド・レイモンド氏の扱われ方が信用できなくて困ったんだぜ。UBI モントリオールて近年とみに和ゲー会社っぽさが滲みだしてきているしさあ。メディア対策においても、往年の日本ぽい処理がかましてあるんじゃねーかという邪推を、どうしても止められないトラウマ。
とかなんとか。