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ゲーオタ OFF 会

スタイク

そろそろ閉店が近い古炉奈でゲーオタ OFF 会でもするかーというかんじになったので、やった。おもしろかった。いい加減日記遅延をおっかけはじめないとヤバい気がするので、かなり駆け足で。

  • E3 感想。UBI 社がんばれ超がんばれ。
    • Splinter Cell : CONVICTION
      • ついにソーシャルステルスをやめて公の場に復帰した CONVICTION。まともにゲームらしいことをやっている画面になったが、そのぶん新規性はなりを潜めたような気がして引っかかる、まあプロモーションの順番という話っぽい気がするので、全体的には期待。記憶や情報の視覚化、メタ表示は、デザイン的な素敵アイディアでありつつ、カットシーンにかわる新機軸でもあるといえて、BIOSHOCKDEAD SPACE におけるボイスログのように、展開速度と密度感の圧縮に貢献するだろう。ただ、ああまでビタっとゲーム情報とグラフィックが溶け合ってしまうと、まともにやったらローカライズ工数計算がイヤなかんじになるんじゃという余計な心配ががが。なんかダサいことにならなきゃいいけど。
    • ASSASSIN'S CREED 2
      • AC2 のおれ内期待値は高くないのだが、好感度はわりと高い(好きだしね前作)、今作ではちゃんとデモムービーで描かれていることが全部できればいいかなーという程度。ただ、やっぱ今回もひっそり暗殺して去るってのはナシなのかってのが気に掛かる。時代劇で HITMAN がやりたいってのは重要だと思うんだが、記憶演出を必ず入れるという意味では結局ボス戦を盛り上げないといけなくて、あんまうまくないって話か。ゲーム設計自体に問題がある気がしてしまうぜ。あと暗いシーンばかりだったのが気になった、という話題が出た。いろいろイメージが被る。UBI 社の E3 での演出テーマが暗闇だったのか?
    • Project Natal
      • デモム−ビーあり→http://japanese.engadget.com/2009/06/01/xbox-360-poject-natal/
      • http://www.famitsu.com/game/news/1224875_1124.html
      • XBOX 360 のコントローラ不要ゲーム環境。ネイタルだかナタルだか。話題としては結構大きいんだけど、いまんとこ大き目の期待はしていない。対抗イメージとしては vs Wii コンなんだろうけども、近いイメージはどちらかといえば「すごい Eye Toy」で、現状おれの据え置き機家庭内住み分けイメージの中での 360 の位置にあまりそぐわないような気も。
      • 据え置き機家庭内住み分けイメージというのは、「みんなが集まるリビングには WiiPS3XBOX 360 は書斎や子供用の一人部屋、そのほか携帯機はどこにでも持ち歩いて遊んでる」みたいなアレ。XBOX Live はネットコミュニティとして成功しすぎたがゆえにリビング TV 台での場所争いからリタイアしたと思っていて。つまりボイスチャット標準で画面の向こう側の友人ネットワークとつながりまくるゲーム形態って、遊んでる当人以外を置いてけぼりにするから、多人数が集まるようなリビングにはまったくそぐわないのだよね。画面のこちら側の少人数と盛り上がる手段の多い Wii や、あんまネットコミュニティとして成功していない PS3 のようなハードならリビングに居ていいけど、パパがリビングの TV を占領して 360 ゲーに熱中しまくってしまうと、ママは見たい番組を見れないし、子供は退屈して携帯いじりはじめるしし、おまけにパパは時おりアブない奇声をあげまくるし話しかけると不機嫌になるしで、やっぱり 360 をリビングに置いてもいいこといっこもない。まあ 360 にはメディアセンタのフロントエンドという機能もあるから、リビングの大画面 TV の脇に置いとく意味も小さくはないんだが、どちらかといえば距離の遠い TV の大画面より、書斎の机に置いた 32 インチ程度のワイドモニタで画面に没入するほうが幸福って気がするんだよなー。狭い最適解を探すと「一人暮らし(週末に友人が集まる程度)の、大学生〜 30 代前半独身男性のマンションのリビングルーム」になら、360 は似合うかなあ?
      • モーションセンサでブイブイいわす環境となれば、ある程度の広さが必要という話になるから、それができる場所はどこだといえば、リビングだという話になって、まあメリケン人どもの家は広いんだろうから書斎でも Natal 余裕でしたという話かもだが、狭い日本の住宅事情だと厳しいだろうなー、前述の EyeToy、床をドンドンいわす DDR コントローラ、Wii コンは上半身運動だけだから辛うじて、Wii Fit の体重計は踏む操作だけで飛んだり跳ねたりはナシだからギリギリ、みたいなかんじで、どうにも「日本関係なさそうですね」感もあったりとか…いや話を戻すと、「Natal は他機種への一応の対抗戦略の一環で出てきてる気がしていて、これはリビング向けの提案なんだろうけど、360 を幸福に遊ぼうとすれば、あんまりリビングでは遊ばないという方向になる気がする」あたりのガチャガチャしているかんじ。スッキリさわやかに芯の通ったわかりやすい戦略商品であるようには思えず、拡張現実とかバーチャルリアリティとか嫌いじゃないので楽しみではありつつも、なんかいまひとつ盛り上がることができない。
  • ゲーム開発マッチョイズムにおける両輪の話というか、鶏肉料理と卵料理はどっちがうまいか、どっちを食いたいか、みたいな話で盛り上がった。D さんは煮詰まってる状況を打破するため機能強化をコツコツとやっていくしかない説で、N さんはそれほど機能強化しなくともブレイクスルーを起こすアイディアが出てその実験や洗練が市場によって行われさえすれば幸せだ説で、基本的にはどっちも必要なんだが強いていえばどっちだ、みたいなかんじの議論に。
  • 「映画のようなゲーム」っていうワードについた手垢と呪いが 90 年代を通過した我々には覆いかぶさっているわけなんだけども、「映画らしい映画、に対応する、ゲームらしいゲームというものがあり、映画らしからぬ新規性が映画を開拓してきたように、ゲームらしからぬ新規性がゲームを開拓していく」みたいな言い方なら多分まだしも通用する範囲があって。それは外部への拡大でもあるし、または内部の密度を操作して既知の世界をひろげていくアイディアかもしれないが、ともかく、「方法」なり「技法」なり「作法」なりの発明とその実装、あるいはそれらを可能とするインフラ整備、市場が滅ぶまで終わらない試行錯誤のなかで、どの瞬間からかはじまった何か、どの時点で最高潮に達した何か、そういった体験や記憶の、その当事者の一人となる、それがゲーム開発マッチョイズムオタの醍醐味というやつなんだろうなと思っている。技術はすべてを変化させるが、変化を促すものはなにも技術ばかりではなく、とはいえなにかが降って来るまで待つような堪え性がないなら、とりあえず明日のための準備をコツコツやっていくしかないとかなんとか。
  • 映画の主人公が、視聴者と内面を同期させていないのにもかかわらず、そのことによって違和感を覚えさせない、というのは映画における技法の修練、これがゲームではできないのはなぜだ、というのは、操作系の不自由さに起因しているのか、とかなんとかいう話に加えて、QTE の功罪や、自動化の話に。QTE を一体感への方法として考えれば、その動作は「プレイヤが想像したとおりの動き」を想定してそこへむけての補正が働くべきなんだが、QTEQTE として洗練させていけば「プレイヤの想像を超える動き」こそが良い、というふうに枯れていく。こうした「枯らす意図」というか、カプセル化することによる完成への意図みたいなものが、おれは好きなんだけど、「なんとなく気持ちの悪さを覚えるほどに自然な体験」みたいなものを目指すようなら、たしかに QTE は問題だし、実際 QTE は安全に完成していけばいくほど終わってしまうなーという問題はある。

とかなんとか。古炉奈には夕方くらいまで居て、それから昭和口のほうに歩いてスタイク食って散会。