おもしろと観測範囲
「おもしろい」というのは案外峻厳たるものであって、世の中最大のボリュームゾーンである「普通」は、一般におもしろいから除外されている。したがって、おもしろいためにはまず普通以外でなければならない(もちろん、普通以外であればおもしろい、とはならないので、おもしろいへの道はさらに険しい)。さて一方、観測範囲は狭すぎると「観測範囲が狭いですね」とか言われて口惜しいので拡げたくなるものだが、じつはここに罠があって、観測範囲は拡げれば拡げるほど普通の混入率が上がっていくので、日々の観測によって得られる感触はどんどん普通に近付いていく。普通はおもしろい以外であるから、なんだか味気ないのではないか、という話になる。これをひっくり返すと、ある程度範囲を絞った観測によって、観測行為自体のモチベーションは維持されるのではないか、という考え方が出てくる。
けどそっちもやはり王道とはいえず、たぶんアガリは「普通をおもしろがれるひとになる」というあたりになってしまうんだけど、これがまたどうにも胡散臭い。曖昧なものとの戦いは続く。