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非 M の世界

「彼ら以外の私たち」関連(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20070805#p1)で、特になにかまとまったわけではない途中の書き出し。

  • 用語「非モテ」の成立には、特定の「モテ」という集団がまず想定される。「モテ」という具体的なイメージを取っ掛かりにして、「彼ら以外の私たち」として「非モテ」を発明する、という手順。
  • 用語「非コミュ」というのは、第何次かはよくわからないが、ともかく非モテ語りのブームをきっかけに成立したような覚えがある。非モテ派生語ということになるが、非モテとはちょっと成立の仕方が違う。というのは、たぶん非コミュの非の取っ掛かりになる「コミュ」は特定の集団ではなくて、おそらくは「コミュニケーション能力」とか能力の問題になっていること。非モテと同じだったなら、まず「コミュニケーション能力者」を想定し、そこに「彼ら以外の私たち」フィルタをかけて「非・コミュニケーション能力者」としての私たち、という手順で成立するはず。でも用語「非コミュ」はそうではなく、括りの単位が人間でなく能力なので、ぼんやりしている。
    • 集団として「コミュ」が指定されているのは、用語「非コミュ」成立後の文脈であったように思う。つまりそうした流れのうえで想定される「コミュ」は、「非コミュ以外の彼ら」という手順で区分されたか、または後付で非コミュを遡上して「発見された」ことになった、のではないかと思っている。
  • これが「非コミュ」という用語にセンスを感じられない理由のひとつで、ようするに元々の「非コミュ」というのは、用語「非モテ」のキャッチーさに誘発されて、当事なんとなく手癖で発明された泡沫語のひとつでしかなかったんだろうと思っている。似たようなのだったら「非モテ」の非を置き換えて「否モテ」とかなんとか、咄嗟に思いついたりもするだろう。けどそれらは「非モテ」の持つキャッチーさや突破感と並びようもなく退屈で(←いや個人が自分語りとして用いるぶんにはそれで十分なのだが、場に流通させて界隈を形成していくような性能はない、という話)、あとで理論付けでもすれば話は違ってくると思うけど、投げ出すだけなら賞味期限三日ももてばいいところ。
  • にもかかわらず用語「非コミュ」が細々と生き残ってきているという現状は、つまりその用語によって掘り起こされた感情や、またその用語を発するひとたちの想いの強さを表しているのだろうと思えるから、それは多分捨てたもんでもない。でも、やっぱり突破感は無いな。「非モテ」のように、字面を見ただけでなんとなく多くのひとにイメージを喚起させるような力が感じられない。空気感の共有が必要だ。用語に付随して説明が要るようでは、言葉としてやはり弱い。
  • ところで、「モテ」のように特定の集団として具体的に想定される命名でいうと、近年には「スイーツ(笑)」とか「リア充」とかがあった。「スイーツ(笑)」は単に「スイーツ(笑)」として消費されたかんじなので、特にその後の展開などは観測できなかったが、用語「リア充」についてはわりと変化がある気がするなーと思っている。
  • 「モテ」は「彼ら以外の私たち」として「非モテ」を産んだが、「リア充以外の私たち」としての「非リア充」は、散発的には観測されながらも大きな流れを作ることがなかった。対義語として「ネト充」という用語も発明されたりしたようだが、これもいまひとつ。リア充における変化は派生としてではなく、逆流だ。
  • なにが起きたのかというと、当初大学生インターネッターのあいだで、対比しての自虐芸のため、あるいは妬み・そねむ対象として発明された用語「リア充」が、あんまパッとしない生活を送っている(学生であるかどうかを問わない)インターネッター全般からみて叩く対象としての「リア充」に変化したときに、具体的な(≒ゼミにサークルにバイトにと活発に活動し、世の中とうまく接続して学生生活を謳歌している)イメージを持った特定集団としての「リア充」から、(とにかく毎日楽しそうに暮らしてそうなかんじ、みたいな)漠然とした「リア充」へ、対象範囲が拡げられた。いまや用語「リア充」というのは、乱暴にまとめれば「≒非モテ以外の彼ら」ということになっている。
  • ええとー、つまり、「モテ」→「彼ら以外の私たち」→「非モテ」→「私たち以外の彼ら」→「リア充」≒「モテ」、というかんじかなー。用語「モテ」の賞味期限が切れてしまっているかんじなので、現在それはリア充に置き換わってるんじゃないかと思った。