ぼくたちの好きなバーチャロンロン関連
みんな大好きバーチャロンロンが微妙に語られている雰囲気だったので絡みにいったログ。
夜の部。
- AC とチャロンを一絡げに語ると、めんどくさい人種が寄ってきます。
- 「初代が一番おもしろかった」言説は、敵を減らす工夫かも。AC は知らんけどチャロンは OMG 信者が一番強烈というイメージがある(OT 以降のシリーズ信奉者は、当時こそ熱烈ではあったけど人が減ってからはわりあい落ち着いてる印象)。あくまでおれの観測範囲の話。
- (「連ジの盛り上がりが低速路線の萌芽」説に対して)いや、メックウォーリアとか昔から遅い。
- 現在高速空間対戦ゲーはむずかしいと思っていて、というより往年に高速空間対戦ゲーが成立しえたのは、ゲーセンが「LAN 対戦環境」「マルチプレイとはいっても 1v1 中心」という文化だったことによると思っている。現在のネット対戦でいえば同時対戦人数は多いほど良いので 1v1 限定みたいな特殊な仕様でなく自由度を高めにする必要があり(4th は特殊仕様の拡張路線としてギリギリだったろう)、同じゲーセン内とかみたいな幸福な環境だけではないのでラグなど考えると高速空間格闘は厳しい。
- 高速な対戦といえばレースゲームも一応はそうと言えるかもだが、レースとシューティングでは判定の量と許容範囲がまったく違って厳しい。
- 低速ゲーと高速ゲーの違いとして「狙いやすさ・避けやすさ」は大きく、高速ゲーなら狙いづらく当てづらいわけだからオートエイムとホーミングが必須。チャロンとかは「高速でロックオン・ホーミング」デザインの典型(というか自機の高速ダッシュ×高速・低速ホーミング弾のバランス例だが長いので略、このへん後半にちょろっと書いてある→http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20070315#p1 / http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20061115#p1)。対戦考えなくていいならボサッと突っ立ってる敵集団をズバズバなぎ倒す Shinobi とかガンヴァルキリーみたいな俺 TUEEE デザインにも展開したりする。けどまああのへんもロボではなくなって、ついでにその流れも絶えてるよね…。
- 単に「操作が忙しい」のと「高速ゲーム」の違いは、後者が「プレイヤの入力を即反映し終わる(入力待ちになる)」ということで、根っこを辿るとガードキャンセルという発明はスゲーというあたりに落ち着く気がする。まあボタン即パン文化との掛け算で強化された印象だとは思うんだけど(「チャロンがどうというよりバーチャである」説)。「一手が重い」より「急き立てる」感覚が強いっていう。
- ていうかこんな朝っぱらからぼくたちのバーチャロンロン汁を垂れ流しても詮無いなー。垂れ流しは簡単だがまとまりはしない。
夜が明けて。
- チャロンから AM3 研または Hitmaker 社つながりでいうと、クレイジータクシーもまた後継たるゲームは生まれがたく、まあバチモンのキャラモノとかはいくつかなくはないんだけど、大味でどうしようもない。といって、現在までクレタクの流れが続いていないことに対しては、オタとして特に恨み節とかうなりたい気分とかはないのだった。
- というより、往年に完成し後続を生むことなく結晶化したタイトルを愛でるのは、それはそれでひとつの幸福な(不健全な)オタクの楽しみなので、愛すべきシリーズが現在まで続いていないことをもっと感謝してもいいんじゃないのか?と思っている。おかげさまでおれの心の記憶の宝石箱はキラキラとした結晶たちで一杯さ…。
- もうシステムに伸びしろがないのに人気に押されてズルズル続編を作らざるをえなくて、とはいえ前作と同じでは叩かれるので「なにか進化したっぽいかんじ」にするためゴチャゴチャ付け足したりダメなアレンジを加えたりして劣化肥大化を続け、かつて美しかった現在無様なゲームとか思い浮かぶじゃろ?
- 究極を作ったと思ったら「その続編を作れ」というオーダーの返ってくる世界観て結構絶望的で、それでも前に進むためにはマッチョイズムに頼らざるをえないんだけど、それに最適な考え方って工芸品感覚じゃあないと思うんだ。
- これってあれかなーおれの自アン民的であり非 2ch 民的感覚、つまり「この時点で完成していると思える箱には追加票を投じるべきではない」感、ひっくり返すと「くそどうでもいい感想レスとか「kwsk」とかでスレッドを伸ばし延々レスポンスを要求しつづけるのは不粋」、みたいな感覚が基かな。
次似たようなフレーミングが起きたらテレパシーで教えてくれと F 氏に言われたので、ベランダに八木アンテナでも設置しておくことにする。