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最近のアニメ活動

高円寺→中野 | 070503

重い(っていうかこのところでいえば痛い)腰をあげてようやくグレンラガンを、とりあえず作画崩壊で話題の四話まで見た。おもしろかった。

  • 真面目に作画崩壊作画崩壊!て叫んでるひとの気持ちはー、まあ多少わかるかなーと思った。これは確かにずいぶん絵が違う。差異や多様性を認めない主義のひとからすればこの世の地獄かもわからんな。つまり「アニメは工芸品か、あるいは工業製品か」とかいう筋合いとも絡むあたりだな。
  • なんとなく作画崩壊作画崩壊!て叫んでるひとの気持ちはー、まあそれはそれでわかる。ようするに、あれよ、若者語の変遷のことなどを想えという話だ。そのむかし「ありえなーい」とかいう言い方が流行したかと思ったら速攻で廃れたことがあった。廃れたあとにも傲然と「ぶっちゃけありえない」と歌い続けた「ふたりはプリキュア」の OP はまさに男の中の男であった。まあそれはまたプリキュア話になってしまうので以下略。問題はこの「ありえない」がその次どうなったのかということだ。もっと手短かつエスカレートして「ない」になった。「ないない」「それ絶対ないからー」とかな。いまだとあれか「ないわー」とかそういうかんじでおっさんも使ってる。
  • でもそれべつに全然否定のニュアンスとして軽いのだ。だってどうにもならない実存を眼前にしながら「ありえない」だの「ない」だのと言ってみたところで言葉の無力は明らかなのだから、彼ら自身べつにその「ありえなさ」や「なさ」を信じているわけではないし、またその価値観に基づいた世界を実現しようと(すくなくとも直接的には)思ってもいない。むしろその軽薄さを愛嬌としてコミュニケーションに使っている、というようなもんであって、言葉を言葉とおりに受け取るのは大人げないという話だ。まあネットはいまのところ言葉中心の世界なので、言葉の比重が暮らしとは比較にならないほど大きいから、その仕様の差で生じたギャップは小さくないわけでもあるけど。
  • ともあれ、これがつまり現代の言語感覚のムードをひとつ象徴しているのかなーと思ってみれば、なんとなく勢のひとたちについては、ちょっとした作画のブレをみた途端「作画崩壊!」となるのは、あまりおかしな話ではない。目玉焼きには塩派の家庭に育った A くんが目玉焼きには醤油派の B くん宅の食卓を見て「ありえない」と呟く、という程度のニュアンスでグレンガランは「作画崩壊」した、という表現なのだろう。

作画崩壊以外の感想については後日。このダイゴウジガイっぽいやつはいつ死ぬんだろうと思っていたら、そいつのかわりにオヤジが速攻で死んでいた事実が判明したりして爽快だなあと思った。