検索あそび「モボ・モガ」
XBOX Live がメンテナンス中で夜中あまりに暇だったので、ひさびさに自アンみて、ところどころ自アンらしい枯れたおもしろさなど散見してニヤニヤして、しかし全体的にはうわーなんかおれのいまの感受性は自アン見る周期じゃなかったわーということを確認したのだが、ところでなにかの箱で「モボ」「モガ」という単語を見かけて懐かしかった。べつにその用語自体がなつかしいということではなく、自アンでその文字列を見かけるという状況への既視感のほうだ。以前にも見たんだよな自アン+で確か。たぶんどうでもいいなにかの拍子にふとどっかの暇人の脳から転がり落ちたフレーズだ。同じひとが投票したんだろうか。
モボ・ボガっていうのはモダンボーイ・モダンガールの略語だというところまでは知っているんだけど、それ以上のことは知らんので、せっかくの機会だから検索。Google で上から順に。時代語だけあって、適当に検索するだけでもかなり多彩な断片が垣間見える。
- ザ・20 世紀:1927 年
モダンガール、モダンボーイの略で、評論家新居格(にいいたる)の造語と言われ得いる。1925 年夏から使われ始めた。モガは短い髪に帽子、モボはシャツにネクタイ、山高帽子にロイド眼鏡にラッパズボンというスタイルで町を闊歩した。
- 日本語俗語辞書「モガ」
モガとはモダンガールの略で、大正末期から昭和初期にかけて流行した言葉である。当時、モガと呼ばれた若い女性の特徴は断髪、洋装、引き眉毛、頬紅、ルージュなどのメイキャップといった格好で、どちらかというと不良的な悪い意味で使われることが多かった。
昭和中期を過ぎてからは、モダンという言葉自体が使われなくなったこともあり、モガも廃れていった。代わりに『ナウいギャル』『イケてる』といった言葉が似たような意味合いで使われるようになる。
深刻な不景気に見舞われる昭和初期。そんな銀座を威勢良く闊歩したのが、「モガ・モボ」いわゆるモダンガール、モダンボーイと呼ばれる若者達です。刈り上げた短い髪におかま帽、眉を細く引き、濃い口紅をつけ、英語の辞書をバッグにしのばせた若者たちが、カフェーやダンスホール、映画館に登場しました。そんな彼らに歩調をあわせるかのように、モダンな新型電話 BOX が登場したのです。
大正期の文化生活には西欧文化への憧れがありました。それが昭和初期にはアメリカ文化への憧れへと代わり、それはモダンライフと呼ばれました。
街頭はにぎやかになり、モガ(モダンガール)、モボ(モダンボーイ)がファッションリーダーに。
- AllAbout:多くの人を魅了する銀座老舗カフェの1杯
このように文化人が集った「カフェーパウリスタ」は、「銀ブラ」という言葉の語源にもなっているというから驚き。「銀ブラ」は「銀座をブラブラ散歩する」という意味でよく使われていますが、実は「銀座パウリスタにブラジルコーヒーを飲みにいく」が転じたもの、という説があるのです。
- 誰か昭和を想わざる:不良外人とモダンガール
このモダンガールの言葉の持つもう一つの顔が教科書などに書かれていないのは当然で、子供に教えるのにふさわしくないようなニュアンスもモダンガールの言葉にはあったのである。それは日本に来ている裕福な外国人や、金持ちで遊び人の若い日本人らと一夜を共にしては洋服や金銭を貰い、決まった相手を持たずに男から男を渡り歩く、そしてひどい場合にはホテル住まいなどもしている女性もあり、こうした女性もモダンガールと呼ばれたのである。
- JDN:消えたモダン東京
今から約 70 年前の東京で流行の最先端をいく人々のことをモボ・モガ(モダンボーイ・モダンガールの略)と称していた。このモボ・モガの出現した大正末期から昭和初期は、建築世界でも大きな変動を迎え、その集積として新しい都市ができ文化も次々と更新されていた。その中で生まれた「文化住宅」は、当時の最も新しいデザインの住宅に対する呼び名であり、モボ・モガに相当する言葉であった。
- 89 才のホームページ:モガ、モボ
モガたちの洋装が、おいおい家庭にこもる中年婦人にも及んでいった。その第一歩がアッパッパであった。裾がひろがるその格好から、この奇妙な名称が生まれた。エプロンアプロンなる言葉から生まれたと言われている。
アッパッパの流行は、着物にくらべて安く、不況、不景気向きだったことも流行の原因であった。これ以来洋装は抵抗なく婦人の間に伸張、昭和 5 年頃には上流夫人の間には狐の襟巻き、6 年にはパーマネントが流行する。
そのほか。
- 銀座コンシェルジュ:銀座ストーリー
- パチスロ「モボ・モガ」
- モボとモガ・ラベンダー(竹久夢二)
- 大阪モガ・モボ時代展
- 古本買取販売 古書ドリス:anan/BRUTUS 共同編集 別冊モボ・モガの時代 東京 1920 年代
そういやモガモボとハイカラじゃどっちが古いんだ。
- 日本語俗語辞書「ハイカラ」
ハイカラとは舶来品や西洋の格好を好む西洋かぶれした様やそのような人のことで、キザや軽薄といった意を込めて使われた明治時代の流行語である。
ハイカラは英語の "high collar(高い襟)" を略した造語で、もともとは高い襟をつけ、進歩主義・欧米主義を主張した若い政治家を指した。また、保守主義者の『チョン髷(まげ)党』に対し、開国主義・欧米主義者の『ハイカラ党』という言葉もあった。これが転じ、西洋かぶれした人全般をハイカラと呼ぶようになったが、西洋の服装や文化を取り入れることが当たり前となるとともにハイカラという言葉も使われなくなった。しかし昭和後期に入り、少女マンガ『はいからさんが通る』で再びハイカラという言葉が脚光を浴びた。
「ハイカラ」は明治時代くらいの言葉とあるので、大正昭和のモボモガのが新しいのか。
明治時代に、西洋帰りの人や西洋の文化や服装を好む人が、ハイカラーのワイシャツを着ていたことから意味が転じ、当時は「ハイカル」という動詞も生まれた。
まあしかし、モボモガっていうのはどうにも語呂というか語感が悪いかんじするな現代では。当時はそんなでもなかったんだろうか。昔と今では抑揚もかなり違うっていうしな。案外平気だったのかもしれないというか、いまでも場合によってはあんまりおかしくないのかも…、と思って似たような単語を脳内検索して、最初に引っかかったのが「エヴァ」。あーそういえばエヴァってのもよく考えるとイマイチなの…か?あれはべつにいいような気が。いやそれでいうと「モガ」はわりと平気なのだ現代でもたぶん。「モボ」がどうにも収まり悪いだけであって。
で、エヴァで思い出したけど、あれだよな関東圏と関西圏ではエヴァンゲリオンの略称が違ったよな史観といやそれはべつに地域差とかではなくて特定クラスタの問題だ史観とが戦ったりとかしていたような、いなかったような、記憶が曖昧だけど。つまりエヴァンゲリオンを「エヴァゲ」と略するひとはけっこう居たよな。当時おれが関西圏のひとと接点が多かったからそういう印象なのかもだけど。ほかだとー、「エヴァンゲ」とか「エヴァゲリ」とかも居たか。あと作品斜視の態度表明なのか三石氏語調リスペクトなのか、よくわからないが「エヴァー」派とか。
ちなみにアクセントでいうと以下のように変化する。
- エヴァンゲリオン
- エヴァ
- エヴァゲ
…なんかエヴァンゲリオンの話になったな。