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なぜおれは機動戦艦ナデシコをおもしろいと感じるのか

ナデシコはおもしろいアニメ作品なのだが、おれの場合それ以外の余計なものが雑多にのっかっている。その傾斜した状況自体客観的におもしろがっているのだがしかし、たぶん他者とは共有できない感覚だ。要するに 90 年代後半の気分を投射しているのだろう。それを思い入れという。あの時代に体験したことは、べつに機動戦艦ナデシコとは何の関係もなく(第一おれがナデシコを見たのは放映終了後二年ほど経ってからだったはずだし)、ナデシコを通して解釈できるおれの思い出などというものもべつにないのだが、重ね合わせや象徴化はそういう情動とは違うしな。関係はないけどなにかが似ているのだ。だからそれぞれが本当には何であるのかとか関係ない。じゃあなにがだ。不完全さがかな。機動戦艦ナデシコというアニメは不完全だ。中でいろんなものが混ざり合っており溶け合っていない。夢見がちではないが割り切ってもいない、ピュアさと諧謔とそれ以外のものが同居して喧嘩している。すごくうまくいっているように見えるときもあるがいまとなっては古臭かったりする。あと何というか、全体を通して感じられる特有のナイーヴさ。文脈的に見れば、あるいはこれが、エヴァンゲリオン後だからこそできた、またはエヴァンゲリオン後だからこうなってしまった、ナデシコの空気感なのかもしれない。おれの 90 年代と通じていると思えるのは、この不完全さだ。ナデシコが中途半端だとすれば、それは時代が(そしておれが)中途半端だったからだと思える。現在もそれをひきずっているのだろう。その点で、エヴァンゲリオンよりもナデシコのほうがピンとくる。あれはああいうものだった、これはこういうものだった、というようにナデシコを見て楽しむことができる気がする。

もうちょっと具体的なレベルまで落とすと、ウリバタケいいねウリバタケ。90 年代前半あたりでは技術部門キャラの代表っていうと(この部門の先祖はヤマト真田志郎青野武とかだ)、まだなんのかんのとパトレイバーシバシゲオ千葉茂氏かなと思ったけど、ナデシコのお陰でおれの中での 90 年代後半にナデシコウリバタケセイヤ飛田展男氏に世代交代したよ。偏屈でありつつ視野は広く、オタ的因業と技術屋魂が音叉のように並行し、甲斐性と子供心の狭間でもがいているあたりまでいくと出来すぎだが、90 年代中〜後盤の理系キャラ描写として相当いいところまでいったと思う。飛田展男氏といえば往年には Z ガンダムカミーユとかやってたんだよな。いわば古代やったあと真田さんやってるようなものだ。ここへきてもう一発当たり役引いてると思うよ。あとウリバタケといえば第 17 話「それは遅すぎた再会」でのヒカルとのホロ苦オタ恋愛未遂エピソードが後引くんだよなどうにも。前後のウリバタケの絵と声の演技の間もじつに深読みビリティに富んでいて良い。