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ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序

ヱヴァンゲリヲン

当初見に行くモチベーションがなく、たぶん BD か HD-DVD 待ちなんだろうなーと思っていたのだが、自アン民関係のひとたち(N さんと N さんと N さん…って頭文字記法だと混乱するので、多少判別しやすく N と L さんと N さんと書いておこう)で一緒に見に行くというような話があったので、それなら行くかなーというかんじになり、行った。おもしろかったのかというと、うーむというかんじだったが、ひさびさに自アンのひとと喋ったので楽しかった。

  • CM 含む全上映時間中、なぜかプリキュア映画の予告編をやってるときだけ場内がザワザワしていた。なんで?
  • ミサトの「ちょっち」がものすごく痛い。時代台詞は風化すると必ずこうなる、というエヴァンゲリオンにおける野暮さを代表して、この「ちょっち」は 2007 年に発声されている。
  • 電話の受話器のでかさに時代を感じる。まあそれ以前に公衆電話ってどうよという部分もあるが、そこは架空未来の時代状況もあろうしあまり問題に感じない。どちらかというと気になったのはトンネル内の有線電話の受話器だなー。でもあれもいかにも堅牢性重視みたいな場所ではあるのか。
  • S-DAT はあまり気にならない。安直には(iPod は外して適当に国産っぽい)シリコンオーディオ化なのだろうが、べつにそこはなー。どちらかというとイヤホンケーブルの太さが気になった。音にこだわる少年なのだろうか。なのだろうな。当時にして MD じゃなく S-DAT なのだし。MD がなにか知らない若オタのために解説すると、MD というのは 90 年代における iPod みたいな立ち位置のアレ。「SONY の MD が欲しい」というキャッチコピーに超反応していたメガドライバー諸兄のことなど思い出すとなつかしい。
  • 時代といえば、今回冒頭に「時は 2015 年」と出なかった気がするんだが、新作では作品年がじつは明示されてなかったりする?もしそうなら、もうあと数年で 2015 年になっちゃうから?
  • 綾波のパンツの主線が純黒じゃなくてちゃんと色が乗ってたのが 2007 年で感動した」という話があった。
  • エヴァンゲリオンを語る際避けて通れない「シンジの拗ねっぷりが見てて不快だなあ」問題だが、今回考えを改めた。少年アニメの主人公とはいえ、わりとディテールはリアルめのアニメなんだから、おれの要求する水準のほうが無茶だわ。シンジは右も左もわからない最初の戦闘で、疑似体験とはいえ腕折られるわ右目のあたりから頭貫通されるわで、ちょっと中二男子として尋常じゃないレベルのひどいめにあわされたわけじゃん。あの状態からなにくそとか負けるかとか思える根性は普通持てないよ。仮におれがエヴァンゲリオンに乗ってた場合で考えると、サキエルに腕握り折られた時点で(しかも打撃で折れましたとかじゃなくて握り潰されてるんだよね)心も折れると思うんだよね。なにか場違いなところに来てしまった感。いってみれば、花山薫から握撃くらったあと「もう一回いってこい」て言われて行けるかとか、そのレベルの話だねあれは。拾った命を大事にして二度目は絶対行かない。「でなければ帰れ」とか言ってもらえれば喜び勇んで帰る。どっちにせよ死ぬのだとすれば、逃げて死んだほうがマシ。
  • ただ、じゃあそれでもまた再びエヴァンゲリオンに乗ったシンジが雄々しいのかといえば、そうとも決して思えない。どっちかっていうと逃げるほうが踏みとどまって拗ねるよりマトモだと思うんだよ。「少年がロボットに乗る」の動機付けとして、かつてなくイヤな構造になっている。実際彼は逃げようともして、それは健全さだったと思うんだけど、結局戻ってしまった(あの行き止まりで振り返って黒服一杯というスポットライト感は、劇中最もラノベ主人公っぽい自意識の垣間見える場面だったよね、そんなものを支える場などどこにもありはしないのにもかかわらず)。「逃げちゃダメだ」と彼はいう。それはまともでなくなることだ。逃げてはいかんのか?多くの場合家族や家庭というものは、確かにまあ狂気っぽさを抱えながら生きているものなのだろうとも思いつつ。
  • ていうかこのへんむずかしいんだよ。この問題が解決していたなら、世間的にも十年後にいまさらエヴァンゲリオンといわれたってピンとくる部分があるわけないのだ。「どっちにしてもイヤな二択を突きつけられて、それでも自己責任でどちらか一方を選ぶのが男の子でしょう!」とか言われるとすれば「無茶いうな馬鹿野郎」である。かといってシンジがあれでいいのかといえばそうとも思えない。とはいえしかし、前向きになれるような自由度を与えられてないんだよな…。
  • ヤシマ作戦がよかった」という感想をあちこちで見ていたんだけど、なんかいまいちだった。作戦概要を説明するフェイズがあって、そこから個別の作戦準備がマッシブに展開すれば燃え燃えだったと思うんだけど。「どういう作戦なのか」を事前に図で説明するようなステップがないと「作戦だぁー」ってかんじには満足できないタイプなのかもわからん。まあそんなの本番を見ればわかるようになってるけど。
  • しかし八面体使徒のセブンフォース 2.0 感はなかなかのものだった。良いモーフ。
  • 最後宇多田ヒカル氏の歌で「よくわからんっていうか、じつは結構イマイチな本編だったような気がするんだけど、ED 聴いてるうちになんとなくいいもの見たような気がしてきた」的に納得する気分は、映画「キャシャーン」に通じるなと思った。
  • 終わったあと後ろの席のいかにも「ぼくはオタじゃないですけどーエヴァとか一応チェックしとこうかなと思って」みたいな雰囲気のひとが「映画の最後で予告編とかありえなくね?」とかいってて、うわーその鑑賞終了後第一声はオタ的にもスノッブ的にも 0 点だわーと思った。でもその 0 点っぷりこそが、当時のオタに欠けていたものなのだろうし、またいまのおれにもないものなんだろうと思った。
  • あとは、「ワイが碇シンジじゃーっ ガシャーン」(http://d.hatena.ne.jp/lu-and-cy/20070902/neoeva)のシーンの、うしろでびっくり目になってる綾波の顔がかわいかったです。綾波はときどき骨折してる腕が左右入れ替わったりしていたところがおもしろかったです。

大雑把には、やはりおれのオタとしての 90 年代中盤以降はゲームに代表され、アニメには代表されないんだなあという感覚が強化された。そこを敢えてアニメに仮託する場合には、エヴァンゲリオンよりナデシコのほうがしっくりくるしな多分。ナデシコをリメイク劇場版で見たいなどとは決して思わないけど。

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