matakimika@hatenadiary.jp

WELCOME TO MY HOME PAGE(Fake) ! LINK FREE ! Sorry, Japanese only. 私のホームページへようこそ!

断片部忘年会

忘年会

はてなーのひとが忘年会をやるらしいというので、じゃあたぶん今年はてなくさいジャーゴンが発声されている現場に居合わせることのできる最後の会だなと思い参加。一次会は居酒屋、二次会はファミレス、三次会は I さん宅で、結局朝まで。おもしろかった。メンツは「非モテ」「ネオリベ」「左翼」みたいなかんじの構成だった、ようだ。よくわからない。断片部といってもごく一部というか数人というか。場所は渋谷。2006 年の渋谷といえばおれにとって「何度かはてな非モテ関連イベントで訪れたところ」であって、今回も非モテ絡みだし、なんかはてな非モテと渋谷っていうのは相性いいのかなと思った。

  • ハチ公前の喫煙スペースで煙草吸ってたら横にいたおっさんが「ハチ公前で待ち合わせするのなんて二十年ぶりだ」的な話をしていて、なんだかハチ公前で待ち合わせしてるとき大概この「ハチ公前で待ち合わせするのなんて n 年ぶりだ」的な話をしているおっさんを見かけるんだよなと思った。
  • 一次会に向かう途中の路上、手前から奥への街路樹のライトアップを見ているとマッハバンドが出ていてあーと思った。視力落ちてる問題か?
  • インテリ系マッチョ文化の居酒屋と DQN 系マッチョ文化の居酒屋
  • 今年 MVP はてなユーザって誰よ話
    • タコツボの中からでも世間は覗けるが、その世界観で MVP とか決めるのは空しいのでやめようぜ的にアレ。
  • 映画「パプリカ」周辺話
    • 時をかける少女」同様の筒井康隆氏原作で、「時をかける少女」同様にネットでの感想を探してもあまり原作がよく読まれている雰囲気がない。それと対照的なのが映画「鉄コン筋クリート」で、あれは原作をよく読んでいるひとが原作と照らし合わせたうえで絶賛している。のがおもしろいね。という話。
    • 併せて「オタクが寺田克也氏作品や松本大洋氏作品を称揚することのホモソーシャル的な困難さ」とかの話もちょっとしかけた、が流れた。おれは松本大洋氏作品は好きだし(大して読んでないが読んだものはだいたいおもしろかった)寺田克也氏の絵も好きだが(あんまり追っかけてないが見たものはだいたい好き)、その感覚は一時期のオタ仲間とはちょっと共有しづらかったかなーという印象を持っている。ようするに一定のオタ陣営から「アンチオサレとしての連帯」のボーダー外と判定された作者群の中にこの両氏は居たということだ。たぶん(おれにはその感覚がないが)「オタクの敵としての村上隆氏や東浩紀氏」みたいなフレームも、同様の仕組みなのだろうと理解している。あとおれが寺田克也氏作品や松本大洋氏作品に抵抗がないのはべつに「アンチオサレとしての連帯」から自由だからという話ではなく、単におれが設定しているボーダーがほかのオタ友とは違ったというだけの話。オサレってかっこいいよね(ゲラ)文化圏ばんざい。
  • アステカの銀がポルトガルオランダに買われ日本経由で明に流れて明が崩壊して清ができた話。
  • ネットはプレイヤキャラクタの演出も重要ではありつつ、しかしゲーセンでいえば解説君がコアゲーマーを出し抜いて最強になれる世界であって、わりかしむずかしいんだよなこのへんいちばんかっこいいというかアレなひとこそが一番価値がある、わけではない、というルールになっているので、とも思ったがしかし、世の中にメディアというものが存在してからこっちネット以外でもだいたいそんなものかとも思った。ゲーセンとか優越感ゲームが有効な(ゲーセンの場合ゲーオタはなにをやったって基本的に消費しかしていない世界なのでこの場合の「有効」は非常に限定的だが)場だけが特殊ということになるか。
  • あまり関係ないが、これまでのおれから見た非モテ関連の基礎認識整理。
    • 非モテ」は「抗(脱)モテ(中心主義的な世界感)」的な意味合いと思ってよい。どうであれ「モテ」観以下のカテゴリ。なんかこのー、ゴールデンバウム王朝に対する自由惑星同盟みたいな?
    • 「モテたい(チヤホヤされたい)」が「彼女が欲しい」の解決策として扱われがちだが、それは読み替え。モテなければ彼女ができないわけではない。つまり「彼女が欲しいからモテるようにがんばる」という努力は、(出会いの機会自体の)確率操作というアプローチであり、それなりの効果を挙げる可能性を持つが、それのみが効率的な方法であるとまでは言えない。
      • より掘り下げると、この「モテたい」は「○○さんと付き合いたい」の解決策ではない、となり、てことはつまり「彼女が欲しい→モテたい」とストレートに変換するひとは「(誰にでもいいから)モテたい」ということになるのだな、と理解できる、という筋合いから「(具体的な / 特定の)誰かを好きになれないからこその非モテ」みたいな問題が浮き出てくる…が、それはべつにこの筋合いからだけの話でもない。
      • さらに突っ込むと、この「(誰にでもいいから)モテたい」というのは、べつにそんなことまでは達成しなくてもいいんじゃないのかというか、もうちょっと「人肌恋しい」みたいなプリミティブな感情なのではないかと思わなくもないが、まだもうちょっと考えたい。まあざっくり言うと「べつに誰も好きじゃないけど人肌は恋しい」ようなひとが「非モテの核」とでもいうべき層としてあって、たとえば「誰かを好きになるたびに失恋しつづけているおれは非モテ」とかいうようなひとの場合、それは「非モテ」じゃなくて「失恋」とか「傷心」とかで説明したほうがラクなのでは…みたいなかんじに、なる、か?でもそれもなー。
        • あと「べつに誰も好きじゃないけど人肌は恋しい」タイプでも「特に意識して努力しなくてもわりと周囲の女子からチヤホヤされる」タイプだったらわりかしハッピーな人生を送れるはず。不幸にしてそういったスペック(と無自覚な努力を苦にしない素質)の身体に宿らなかった側の魂たちがネットの海を彷徨っている…、というイメージが浮かんだり消えたりした。
    • 非モテ」と「脱オタ」は一軸上の用語ではない。「非モテ」は「モテ」とのアングル語で、「脱オタ」は「オタ」とのアングル語で、それぞれ乗っかっている軸が違う。そこに架橋するなら、さらに状況が複雑化することは認識されるべき。だから仮に非モテから脱する場合、それは「脱非モテ」と言ったほうがよかろう。
      • まあもうちょっと柔軟にいえば「脱オタ」は「オタ=モテない」という強迫をベースとした、「オタ離脱」というよりも「ファッション入門」の性格の運動ともいえて、だからもはや「脱オタ」は「オタ」とは無関係の(むしろ「ファッション」とのアングルの)用語ともいえはするかもしれない。したがって脱オタは、「彼女がほしい」でなく「モテたい」にこそ、直接リンクしている(結果的に欲望「彼女がほしい」を解決する確率を操作できる可能性は持っている)。
      • 以上のような仮定のうえで求道オタ的に脱オタを批評すると、「自分がモテない理由を「オタク」という属性に外部化しようとするその魂胆自体がまずオタ的でない。なんでもかんでも内部化してこそのオタ」というふうになるか。確かに、脱オタはオタを逸脱している。
    • 非モテの仮想敵としての DQN(←「オタクの仮想敵としてのサブカル」同様わりと漠然としたもの、非モテ界隈限定の狭義としての用語「DQN」として捉えるべき、強いていえば「反ナイーヴ」勢ということになるだろうか?)、という構図はわりと空しい。モテない DQN も珍しくないので。
      • 非モテ連帯による恋愛資本主義打倒をだな」的な筋合いでいうと、この「モテない DQN たち」こそ恋愛資本主義に洗脳され搾取されヒエラルキ最底辺を彷徨いつつ自分の不遇に憤る回路すら育むことができずに来た最も悲惨な被害者たちだ、ということになるんではないかと思うので、非モテ革命家の皆さんは是非にでも彼らを啓蒙し組織化する方法に頭をひねるべきではないのか、とか思わなくもないが、それこそナロードニキ化への道か。
    • あと、おれが当初漠然と思い浮かべていた題目は「オタクと恋愛」であって、一連の「非モテ」問題はそれとは別のフレームなので、ここ二年ほど脱線しつづけていることになる。
  • クリスマスを経過した F さんは、イベント実行経験から「おれはやったぜ」感を獲得してますます増長芸に磨きがかかっているのではないかと期待していったら、むしろ謙虚というか懐が深くなっていてあてが外れたのと同時に、僅か数回の機会で適切に状況に対して表現されるべき自己認識や立ち位置の調整を掛けてきているかんじがするな優秀だなとも思った。この速さと柔軟性が若さか。または 2.0 感か。「とぐろ巻く非モテオーラ」みたいな意味合いでいうと、ひさびさの大型新人なので今後に期待したいところではある。
  • 「単に拗ねてなにもしない」というのは、非モテの場合(に限らずだが)なんの努力も必要なく自動的に達成されるはずなので、そこに理論武装が必要だとは思われない。むしろ「それでもやはり、そういう自分を救ってくれ」という経路示唆として理論化があるような気がしなくもないが(それが誰に向けられているのかは、無関係なおれにはわからない)、よくわからん。UD Agent 的に余った脳力をドライブさせてネットにネタを提供しようとする姿勢、というだけの話かもしれない。
    • いやそうじゃなく、「声なき声の代弁」的な題目には沿っているのだろうか?
  • プロ市民」のプロって proprietary(http://www.atmarkit.co.jp/aig/04biz/proprietary.html)のプロだったっけ?問題

実際の話題は、非モテを除くと全般的に政治的なこと…というよりは政治的な立ち位置ってどうよ的な話が八割くらいで、でおれはポリティカルな話題は全然わからんのでそっちは省略。ノンポリ&宗教色の希薄な家に育って受験戦争の代償行為としてオタク勉強して田舎で牧歌的に育ってきたのがおれだからな。田中芳樹氏作品も小林よしのり氏作品もおれの中二病史に大きな影を落とすことなくそのまま来た。あんまそのようなアレは困るというか、べつになにしゃべっていようが似たようなアーキテクチャなので困りはしないがディテールの理解はしない。でもなんか「楽しそうに苦悩している」という意味合いで楽しそうではあって、そこいらへんはどこでも誰でも大して変わらんのだなと思った。何分でも何年でも、未来の自分を bet しながら思考するというのは男子の趣味として間違ったものではないのだろう。

渋谷駅ハチ公前広場付近渋谷駅ハチ公前広場付近渋谷駅ハチ公前広場付近

明け方、駅前のマクドで朝飯を食って、そのまま徹夜でコミケ三日目に向かう K さんと埼京線のホームで別れて帰宅、風呂入って 360 で軽く WindowsMCE のアニメ録画分を確認して N に忘年会の連絡を頼んで、寝入り。