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個性話

猫 | 061015

体質とか能力による分化と環境や教育による分化の合成で個性は培われるが、自分で自分の個性を感覚するのには、取っ掛かりがないとむずかしいといえる。で、世間というのは取っ掛かりそのものなので、個性の自覚の実際は、それほどむずかしいものではない。ようするに、「やってみようかな」と思ったことができなかったり、より本質的には、「やってみようかなと思うことのできないこと」があったら、それが個性の境界線だ。その内側までが自分、外側が自分以外。やろうと思ってできないことは能力的限界で、たぶんそれはあんま個性とは言わない領域なのだろうが(おれの辞書だとそれも個性だが)、まあともかく補助線にでも使えばいい。で、たぶんやってやれないこともないはずなのに、なぜだかとにかくがんばろうと思うことができないという境界が、わりと一般的に個性と言われるものと近いだろう。

100m 走で 10 秒切ってみようと思って切れなかったら個性、焼肉食い放題でモト取ろうと思って取れなかったら個性、コーラ 500ml 缶を一気飲みしようとしてできなかったら個性、花粉症を気合で克服しようとしてできなかったら個性、もえもえのオタ絵を描こうとして描けなかったら個性、ハルヒにハマろうとして無理だったら個性、憎いあんちきしょうと仲良くやろうと決意したけど挫折したら個性、いまどきのオタなら女子とエレガントな会話のひとつもできないとねと思ったけどやっぱりぎこちなかったら個性、どうしても一般相対性理論が理解できなかったら個性、英語ペラペラになってみようと思ったけど L と R の発音が上手くならなかったら個性、脱オタしようとしたけどどうしても二次元美少女に惹かれてしまえば個性、とかなんとか。

例に挙げたとおり、こういう個性は不変のものではない。環境変化とか成長や努力や嗜好の矯正(再洗脳ともいう)でいつのまにか境界が広がったり狭まったりする。境界線も太かったり細かったり、濃かったり曖昧だったりとかいろいろ。けどまあでき(やら)ないうちには永遠に自分にはでき(自分がやり)そうもないことのように認識され、中には実際に死ぬまででき(やら)ないものもある。そういうものが、本当に不変の個性だったということになるだろうか。未踏の領域の言い換えとしてだが。「ひととして生れ落ちたからには完璧超人を目指すべし」的なノリでいうなら、無個性に暮らして死ぬのが望ましい。個性的な人間というのは、すでにいろんな限界とコリジョンを起こしているということだから、できないことが多い。

ともかく、自分の個性というものは、環境や外部からの刺激に対してならともかく、自意識に対しては絶対に譲歩しない(自意識は限界としての個性上の現象でしかないからだ)。それを超越できないなら、せいぜい納得して、時間をかけて好きになっていくしかない。