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対サブカル関係の不思議

DoGA CGAコンテスト

奇妙なことに、サブカルのひとから話を聞くと「オタクがサブカルを嫌っている、拒絶している、敵視している(ので私はその嫌悪への対抗として意見する)」という話になる。だけどそこがまずおかしいと思う。好きだ嫌いだ以前に、サブカルに興味のあるオタなどというものが、そもそもそんなたくさん居るとは思えない。必要だと思うものは包括してしまって、内向的な視野に収めていくのがオタというものではないのかなあ。で、サブカルはオタの内側に取り込まれてないように思う。てことは、あんま興味もたれてないんじゃないのか。いやでもそれとは別に、「サブカルはオタクの一ジャンル」的な大雑把な納得の仕方ってあるしな。関係は単純ではない。

  • 「オタがオタ的な活動の一環としてサブカルに言及するという状況は想定しづらい」
  • 「ていうか結局サブカルが(サブカル的な活動の一環として)オタを語りたいとき、単に自分のモチベーションだけでオタを語るという行為がかっこ悪く思えてしまうから、「オタのほうから言い出したんだよ」ってエクスキューズを噛ませることで体面を保ってるってだけなんちゃうの?」
    • でもなんかいろいろ話聞いてると「オタによるサブカル敵視の言及は多いですよ」という認識になってるらしい。ふうむ、それはあれか、もしかして冗談を本気にされてないか。
    • オタの対サブカルの罵倒路線って、オタ的には本題になりえない程度の軽い冗談というかネタというか、そのようなものだと思うんだけど(←関係ないものをサクっと言い切って済ませる)、それが無神経に許されてる現状ってのは問題があるのかなとは思った。たとえば、江戸時代の日本は鎖国してたので当時の日本民衆にとって異人さんというのは全然知ったことじゃない存在で、そういう中では「異人さんは赤鬼じゃ」「連中は赤子をさらって食うそうじゃ」みたいな語られ方をしてても内部的に問題ないんだけど、その声がいちいち外部に届いてしまうと、異人さんとしては「そんなわけねーよバーカバーカ」みたいに怒り出してしまってもしょうがないかんじというか。
    • オタが語ってる「イメージとしてのサブカル」に実体などないが、外の世界には「実体を伴うサブカルのひと」が居て、実体のひとにイメージへの声が届いてしまうことで齟齬が生じて「あいつはおれを非難している」と受け取られると。どっちも同じ「サブカル」という名前を持っていて、バラバラの意味で使われていることによる問題。
    • それとまたちょっとズレるけど、「オタはオタ的な世界にしか興味を持たない」「オタ的な世界といえども拡大する」が並立しているというのは、つまり鎖国的な領土拡大、周辺の文化圏を無遠慮に踏み荒らしつつ(無自覚に)自分たちのルール上の世界だということに上書きしていく過程でもある。商売側からの後押しやレール引きもあるだろうからべつにのっかってるオタだけに責任のある問題でもなかろうけど、ともかくそこには最もタチの悪い文化的侵略の実態があるのではないかと思える。だからそれをやめるべきとは思わないが、自覚はあってもいいだろう。
    • あとひとによっては村上隆氏とか東浩紀氏とかの話を聞かされるわけなんだけども、オタとしては全然ピンとこない。そのへんの出来事が大事な話だと思えない。いま「そのへんの出来事」と書いたが、なぜそんな曖昧な書き方をしたかといえば「そのへんの出来事」以上に詳細には語れないほどそのひとたちの功罪みたいな部分に関心がないからであって、つまり、なんというか、あんま真剣に語られても正直困る。大事な話だということにしないとサブカルのひとと会話できない気がするのであんま言わないんだけど(どっちかっていうとこれは「オタ x サブカル」ってよりは「地方 x 東京」の問題な気がするんだよなー特に村上隆氏関連。サブカルのひとにとって地方東京って切り離せないんだろうなとか思うのでそこはしょうがないけど)。
    • ていうかそういう感覚はサブカルのひとにも同様にあるんだろうと思っていて、がんばってオタと対話しようと思っても「いやサブカル的にはそこはどうでもいいんだけど…的外れっていうか」みたいな気分を感じることがあるんでないかなーとか。土地は近い気がしてるので縁を見つけようとするけどお互いうまくいかないもどかしいみたいな。

あとは、えーとオタは基本的に中華思想だと思ってるのでそのへんもあるかな。サブカルってなにしろ「サブ」カルだから中華思想ではなさそう。そこらへんの気質の違いによる双方向の苛立ち。さらにそこに地方東京問題を絡めると、オタ的中華思想(概念的な中央)と中央としての東京観が微妙にリンクしていないことによって、なんかさらに収まりの悪い話になってるのではないかみたいな。

さらに追加しておくと、すごく曖昧な話なんだけど、サブカルってけっこうサブカル圏内でも個々の集落の独自性というか、固有性を尊重しつつ連結されてる印象がある。政治的に連結された集合体みたいな。で、オタってまず通貨単位を統一して経済的に連結していくことでよしとするよーな印象。あんま民族の伝統とかそういうのは尊重してない気がする(よさそうなものはなんでも通貨にしちゃう)。まあ残るものは残って、消えるものは消えるだろみたいな。消えたっていなくならないわけだし。だからサブカルって群雄割拠感が高いけどその実数はたぶん少なくて、オタは誰が居るのかよくわかんないけどとりあえず大勢であるみたいな。顔のないたくさんの消費者たち。で、最近顔のある消費者たちがネットの勢いもあってポコポコ出てきて、それでとりあえずのお話自体は成立してきつつあると。これについてはオタ内でも「永遠の暗黒大陸である」と目されてきたやおいの人々の中に、最近徐々に語り出すひとたちが出てきたことから、オタ的にもよくわかる話といったところ。