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非モテ関連メモ 2

旅行写真 | 060102

昨日のつづき(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20051101#p1)。妄想をふくらませていくと、web 日記上には書けなそうな話にどんどん転がっていってしまうのが問題。

  • 微妙な敵?
    • モテを維持すべく努力しているひとは、もちろん現在モテているわけであるからモテに分類されるが、果たしてこれは非モテの敵かなと考えると、そうは思われない。「モテを維持すべく努力しているひと」を言い換えると、「努力しないとモテを維持できない(=非モテになる)ひと」であるからだ。そのひとは「モテ以外(オタ趣味とか)にリソースをつぎ込んでいる非モテ」と同じだ。なににリソースを使っているかの違いでしかない。
    • 脱オタ」というのは、ようするにこれの応用だ。
    • 自分の行動・無行動によって積み重なった結果、つまり現在の自分というものは、自分の責任そのものだから、それは受け入れる以外にない。「これじゃなくてあれをやっとけばよかった」というのは内省の話で、「これじゃなくてあれをやっていた他人」にどうこう言うような話ではない。
    • ただまあ、この理屈でいうと、未成年非モテには、自己責任は求めづらいのかもな。…そうなると「青春時代に原因を求める青年非モテ」もまた、追求困難な責任を前に途方に暮れちゃうという話になるか。うーむ。
      • これに似た事例を探すと…あれだ、MMORPG における職業選択とバランス調整の関係とかがあるか。開始当初はどの職業もそこそこなかんじだけど、ある日パッチがあたって特定の職業にやたら有利な調整がかかってしまい、ハズレを引いた職業のひとは、いくらレベルあげても全然役に立たない日陰者として辛い日々を…。でもまあだいたいそこは適当に転職とかできるようになっているので、性能的に有利な職業が大量に溢れたりとかする光景はありがち。で、またパッチが当たってバランスが再調整されると、民族大移動のように人気職業間で人口が移動したり。この場合、「有利な職業」はモテ、「有利な職業をわたってゆくひと」というのは「モテたいひと」といえる。
      • でもこういった MMORPG のような場合でいうと、モテが憎いっていうかうざいっていうかモテ野郎にゲンナリって気分はわりと納得できるんだよな。これは現実の非モテ状況とどう違うからなんだろう、と考えると、「管理者の有無」という結論になる。MMORPG には管理者が居て彼らがバランスを調整するのでその波に揉まれる木っ端たる我々に生まれえる感情には行き場がある。が、現実の場合ゲームと違って管理者が居ないので「畜生モテ野郎どもめ」と思ったところで行き場がない。というところから考えると、現実で「おのれモテ野郎どもめ」と思いたい非モテのひとは、現実の中に管理者的立場の人間や組織、構造を想定することで世界観を構築しがちなんだろうと理解できる(そう設定しないと感情に行き場を与えられないから)。発展させると、そういうひとは陰謀論とかと親和性が高いはず(どうせ「セカイの真相」が存在するなら、それが陰謀であったほうがおもしろいから)。逆に考えると、「現実には管理者なんか居ないからさ」と即座に割り切ってしまうひとは思考停止に陥りがちともいえるか。
    • 「努力」という言い方を捨てると「リソースの振り分け」という話になり、振り分け方の違いによって生じた差はそのまま各人の人生そのものだから、それを比べてどうこうって話にはあまりリアリティを感じない、というようなかんじになるけど、そうなってきても、「もともとそこに存在する格差」についての内外に吹きだまる感情についてはどうしょうもないとなるわけかな。A さんと B さんは同じ仕事で同じ時間同じぶんだけ働いて同じ給料を貰いますけど A さんがいつまでたっても暮らしでヒーヒー言ってるのに B さんは家を買いました、なぜかといえば A さんは天涯孤独だけど B さんの家はお金持ちだったから、というとき、A さんが B さんを妬むのは仕方ないというか、そこで妬む妬まないは、標準化しづらい話ということになってくるな。個人の問題だなあ。「もともとそこに存在する格差」が厳密に見積もられてるのかという問題は常にあるんだけど、そういうのは格差の前では瑣末な話ということになってしまうよな。
  • 喪男脱オタ
    • どちらについても詳しいところはわからんので違う話かもしれないが、とりあえずこの二つを対極と見よう。喪男は、喪男ってより電波男といったほうが正確か。
    • 客観的に、喪男はコンサバ。脱オタプログレ。いやプログレっていうと違うか。コンサバも微妙。ううむ。素直に保守と自由でどうか。
    • 脱オタの考え方を、「オタ的であるということに不利な点がある、ので、それを脱しよう」としてみる。現状に対してうまくない、まずい、不利だ、という認識があって、それを変えるため自分を変えることを選択する。
    • 喪男の考え方を、「オタ的であるということに不利な点がある、が、それは不当だ」としてみる。現状に対してうまくない、まずい、不利だ、という認識があって、その納得できなさにやさぐれる
    • オタのものか純情男のものかおれにもわからんのだけど、脱オタというのはつまるところ「問題は自分と環境とのギャップだ、だったら自分を環境へ最適化していきましょう」ということで、オタにとってそういうのは「迎合」というか「妥協」というか、「変節」というか、なにか胡散臭いものなのだ。自分を曲げて長いものに巻かれるというか。なんかそのーそういうのはちょっとちがうっていうかそれをやってしまってはいけないというか。
    • ではなぜやってはいかんのかというと、それは「対応的行動」が「非を認める」ことと不可分だから。いやべつに「非」ではないという話なんだけど、このへんの感情は説明しづらい。折れるべき時というのは自分が誤ってかつ相手が正しいことが明白なときで、相手が正しいかどうかはともかく、すくなくとも間違ったことをした覚えのない自分が困難な状況に対して折れてみせるなど「誤った誤り」だ、二重のミスなど許されない、とかなんとか。で、その逆をいくと、対応しない限り非を認たことにはならない、といえる。「喪男脱オタと違って行動しようとしない」のではなく、「対応しないことを選択している」という話なのだ。
    • かなり暴論になってくるのであぶないが、非モテには減点法の優等生が多く、加点法の優等生は少ないという見方ができる。悪いことをしないということを守った場合、最後に神様が登場して褒めてくれるはずだが、現実には神様が居ない(すくなくとも主義主張の違う多人数に観測されたという報告はない)ので、いつまでたっても褒めてくれる存在が現れない。なんでそういう話になるかというと、加点法は「いいことをした時点」で判定できるのでセッションが短く、減点法は「悪いことをしない」という条件の判定基準が非常に曖昧で、セッションの区切りがつけづらいからだ。したがって一般的に「いいことをする」は評価される確率が高く、「悪いことをしない」が評価される確率は低くなる。
    • 話が逸れたが本流などないのでべつに構わん気がする。けど一応戻すと、とにかくにも喪男には(その他の非モテと同様に)「自分は悪いことはしていない」という自負があるものと考えられる。アピールのむずかしいポイントではあるが、これは「優位」といえる。だが喪男脱オタにはしってしまうと、そういう自分に「非」があると認めてしまうことになるのではないか、という懸念が生じる。それは、まずい。
    • それにしてもあれだ、電波男というのは本当によくできているのだな。
  • 電波男
    • 電波男が提示しているのは喪男の現状を肯定しつつルサンチマンを昇華するという冴えたやりかただ。前述のとおりおれの基本的な疑問は「恋愛関連に無関心になるのがいちばん楽だし自然なのでは?」、つまり非モテというのは恋愛に対する視点に根ざしているわけだから恋愛を重視しなくなればモテだ非モテだに拘る理由がなくなるという省力な方法があるんじゃないかという話だが、電波男の場合この問題の起点である「恋愛」自体への価値観を動かさない方法であるという点でより現状維持的でエコだ。電波男において恋愛は単純に尊いのである。それを可能にした。恋愛を「現実の男女間」から分離することで。経路設定は正しく、目標設定に誤りがあったということだ。ならば「正しい経路設定」に適合する恋愛対象を発明すればよいだけのこと(手段と目的を置き換えるだけでこんなにエコに!)。なるほどより多くの非モテオタに訴えかけるなら「恋愛よ尊かるべし」としたほうが自然だし正しい。そう思うからこそ非モテを自認し、また傷付いているひとは少なくないはずだからだ。自分を変えず、世間も変えず、不幸を払拭し、幸福になる。
    • ただ、複数の針穴をいっぺんに通すような高難度の生き方であることだけが問題で、これを実践するには相当の仙人力が必要だろうなあという気はする。というか、これが実際にできるようなひとなら、なんだってできるんじゃないか?というような。「なんだってでき」ても「なんだっていい」わけじゃないというような非モテエリートのための世界か。
  • 電車男
    • なんのオタだかよくわからないんだけどともかく「オタだ」と観客から目されている男が、とある事件をきっかけにヒロインと知り合って、脱オタしてハッピーになる、という話。
    • ということは、オタホモソーシャル的にはまったく感心できない話となる。なんで「オタ趣味と彼女と付き合うはオルタナティブ」という前提なのだ?という(→自アン「なぜオタは彼女が出来ると仲間を捨てますか?」)。まあそりゃそうだろうという話ではあるが。アナクロスピリチュアルオタ視点でいえば提示される事実=「オタ性を物質文明に依拠しているオタは、グッズを捨てれるだけでオタをやめられる」がけっこうショッキングでもあろう。まあ拠り場をなくせばいずれ風の中に消えていくものよなとはいっても。
    • まあしかし「電車男」はべつに非モテ界隈とは無関係の作品かなという気がしなくもない。問題設定が違う気がするので同じ枠に当てはめてみても見当はずれの像しか見えなさそうというか。リンクしてるのは脱オタ絡みからということになるだろうけど、脱オタもなあ、非モテに合流してくる流れはそんなに古いものではない気がするんだよな。そういうこといいだすと皆新しい流れではないかということになってしまうんだけど。ううむ。思ったより指走ってしまったので考えが足らん。昨日今日とバタバタしてたので今はとにかく眠い。けど明日までは考えるつもりがないんだよな。
  • 非モテ」がモテに?
    • モテを属性にできるなら非モテも属性化でき、属性化できるものならそれによってモテる状況は成立する、つまり「非モテがモテる」場というのは成立しえる。と書くと問題だが、これは正確には「非モテが萌えられる」の言い換えというメタあそびとしての「非モテがモテる」だと思えるので、べつにおかしな話ではない。萌えとモテは違うだろう。
      • やはり非モテはモテないのであり、ある環境において非モテのひとが別の環境で萌えとかでなしにモテるとすれば、その環境においてそのひとは非モテではなくモテであるというだけのことだろう。そしてある環境ではモテるひとが、別の環境に行くとモテなくなるというのもよくある話だ。
  • あずまんが大王」とか「苺ましまろ」とかのキャラは非モテ
    • 萌えを「相手に伝えない愛情表現」とすれば(オタが「萌え〜」といっても、その言葉は直接相手には届かない)、オタに萌えられている漫画のキャラクタは、多くの読者や視聴者に愛されつつも、その作品中で異性から注目されていたり、告白でもされない限り、じつは異性からの愛情表現を受けることがない。したがって、彼女たちは自分と異性との距離感や、手応えの確認ができない。そういった場数を経験できないまま過ごした人間が自分のことをモテか非モテかと問われれば、たぶん「自分は非モテかな」と答えることになると思う。
  • (たぶん)非モテ最大の敵
    • 相手から告白された経験しかない、恋愛経験値の低い、恋愛に無関心なひと。無傷の素人。
  • (たぶん)「真の非モテ
    • 非モテの話題に熱心なのはおそらく 20 代以下。
    • 非モテの問題が深刻なのはおそらく 30 代以上。
    • 10 代や 20 代のひとが非モテ非モテだと騒いでいるさまを見ても、それが本人にとってどれほど深刻であっても、客観的にはまだまだその悩みは浅いと思う。存在より運動に非モテがのっかっているように見える。真の非モテは鋭さには拠らないと思う。目立たず鈍く、ただ重いものだ。
    • おそらく 30 歳以上の「冴えないひと」。
    • ただこれは、おれの中での「非モテ」という用語の問題設定から出てくる結論で、設定を変えるとまた別の結論になる。