matakimika@hatenadiary.jp

WELCOME TO MY HOME PAGE(Fake) ! LINK FREE ! Sorry, Japanese only. 私のホームページへようこそ!

非モテラジオ収録見学

非モテラジオ宴会

渋谷ではてな非モテのひとたちのネットラジオ収録があるというので、見学させてもらった。おもしろかった。

  • 会場はルノアール系列?かなにかの会議スペース。ネットは来てないけど 10 人くらい入れる個室で二時間くらい居てワンドリンクで一人 \1,000- くらいだった。りーずなぼー。
  • 渋谷はさすがにオサレ街なので、待ち合わせは簡単だった。もともと路上に男同士のグループがあまり居らず、その中から「自分と似たひとたち」を探せばよいわけだ。ただ、非モテというのはオタとはちょっと違うので、最も感覚精度に信頼の置けるオタレーダーを完全に信頼するわけにはいかない(オタにはオタを見分ける絶対に近い嗅覚があるが、非モテはオタとイコールではないのでちょっと調子が狂う)というのがむずかしいところ。
  • 会場にノート PC を持ち込んで、マイクつないで収録、それを mp3 形式(無編集)でネットに上げる、という形態。段取り確認や収録中の相談にはホワイトボードやメモ用紙なども使っていた。本放送第一回目ということで、だいぶ手探り中の様子。Skype を使った回線ごしのミーティングや、Live 放送なども視野には入れているそうだ。

なお、おれは部屋の隅のほうで黙々と様子を見ていただけで、ラジオ収録にはまったく関与していない。

そのほか(ラジオ自体とはほぼ無関係な)雑感とメモ。

  • はてな非モテ」とは→http://d.hatena.ne.jp/republic1963/20060106#p2
  • ここでいう「はてな非モテ」というのは、昨年秋ごろから盛り上がっていた一連の非モテ議論の総称ではない。また、往年にテキストサイト界隈にあったような「非モテ」の文脈も継承していない。ごく最近はてなダイアリ近辺で行われた議論の文脈上に生じた、ごく小さな(狭義の)コミュニティの呼称である、という理解。
  • おそらく今回のラジオ収録形態は、彼らの目指す「ゆるやかな連帯」と合致している(Skype 等を使わず、会場を設定して集まって一発録り)。当事者性というか…。
  • おれが興味を持った要件はふたつ。これらについての理解または認識が深まればいいなあと思って参加した。
    • はてな非モテは、わりあい「非モテであり非オタ(というか「オタ的な領分に重心を預ける」という感覚が主要でない)」という立ち位置に近いのかなと理解しており、そしてこの「非オタ非モテの気分」というものが、おれにはいまひとつ連想しづらいものであること。
    • はてな非モテに関するひとたちからは、「スクールカースト」「C クラス」等のキーワードに示されるような問題をわりあい自明のものとして語っているような気分が感じられ、そしてそれらの問題への認識が、おれにはほとんどないこと。
  • 前者については、オタ非モテも非オタ非モテも、まあたぶん(オタとしての)病状はそんなに変わらんのだろうけど現れ方の違いよなと思った。ほとんど「主な舞台がネット上だから」という土俵の特性の問題に過ぎないというか。ネットの場合「表現する自分」というものにどうしても自覚的にならざるをえないので、自分で自分が何者であるのかについて、普段より自意識を問われるようなところがあるので。
    • まあでも「多少なりと服飾系のお店の名前を並べられる」「音楽の話題になっても GM や声優系の話が出ない」など、細かいところでは違いも。
  • 後者、つまり「C クラス」話については、とにかくにも温度が違うことがわかったので、そこまででよしとしよう。納得できるまで議論して見解を合致させてゆくとかそういったことがやりたいわけではないし。

ついでに以前のメモ類発掘。

たぶんはてな非モテのひとたちが目指しているのは、彼らの運動が話題として(どのような規模でかの)世間に認知されてゆく、ということではない。目標はあくまで「彼ら自身の居場所の確保」とかだろう。わかりやすい成功であるとか、規模の拡大というような基準で判断しようとすると見誤る。なぜそういえるかといえば、「C クラスであった(ということは現在も C クラス的な枠組みに組み入れられ続けている)自分」という立場から為される運動は、それこそ A クラス的な振る舞いによって認知されてゆくようなものではないはずだから。

「機会からの疎外」がテーマなのかな。疎外というかなんというか、へんな言い方だけど「影が薄いという自己主張」とか。喪男とかは(よくわかんないけど)バリバリ(喪的な)経験至上で当事者意識が前提なわけですよね。一方で観察者然としているひとたちも、あれはあれで非当事者としてのキャラは確立しているし、フレームを操作して楽しんでる。けど、「場の中心から疎外されている」という感覚については行き所は確かにないかもなみたいな。

(追記)上記については誤解だったようだと今回思った。C クラスというのは「機会から疎外」されている、という問題ではないようだったので。

  • A クラスや C クラスがどうのという世界観は、C クラスに自分を割り当てるような人間こそが支持しているんじゃないのか?
  • 上記仮説が正しいなら、スクールカーストに関する当事者意識がおれにないのは「それは単におれが C クラスではなかったから(C クラスでなければそのような世界観を持たないのでは?)」というだけの話になり、おれの住んでたところでも A クラス C クラス問題はあった、ということになるかも。
  • ↑の「おれが C クラスでなかったから」というのは、べつにおれが A だとか B だとかいってるわけではなく、「おれに「自分は C クラスだ」という自覚がなかったから」という意味。まぎらわしいなこのへんは。

(追記)上記については、「おれの場合はそのような体験がなかった=おれの場合学校環境をそのように認識することがなかった」という個別の話に過ぎなく、これをもって他人と意見交換するつもりはない。誰かが体験した事実とおれの体験した事実を比べても仕方ないから。ただまあ(おれと彼らの世界がある程度重複していたと仮定した場合に)「なぜおれはラッキーにもそのような世界観を回避でき、彼らは不幸にも回避できなかったのか?」or「なぜおれはシリアスになれず、彼らはなれるのか?」とか、そのような疑問はある。

非モテ関連の発言には、まるで「モテる側」がマジョリティであるかのような文章があったが、「モテない側」は決してマイノリティではないと思う(広義においては、ということだが)。モテる男は多くないから希少価値があるわけだろう。それでもなぜ非モテなり喪男なりがマイノリティたりえているかといえば、「モテない」というのが、ふつうはそこに依拠しない要素であるからだ。自覚の問題であり、そして「その自覚に依拠したキャラ立ち」の問題。

非モテにせよなんにせよ「自分たちはマジョリティである」という前提でネガティブハッピーな(それこそ下流的な、2ch 的な)消費というか、お祭っぽいノリに集束(というか拡散)していくのが自然の流れだと思うのだが、あまりそうなってないのはちょっと不思議。でもまあ行き着くと「テキストサイトを再発見しようぜ」みたいなことになってたりして、歴史の繰り返しにはなっているわけか。

  • 運動としての「モヒカン族」と「はてな非モテ
    • 諸々すっ飛ばすと、「はてな非モテ」は、ファイトクラブでいうところの告白の会などの時期を手早くメタに推進させ終わり、健常な他者を相対化しうるオーバーグラウンドなコンテンツとして昇華させたうえで世に出た「モヒカン族」などと比べると、まだまだ進化が足りないように感じられる。ネタの蓄積期間とかにはそれほどの差があったとは思わないが、情報編集能力とか機の見切りとかプレゼンテーションの様式とかかな。実際に、現在発展途上というところなのだろう。なにかを結実させるつもりなのかどうかまでは、外部からは読めない。
    • でもまあはてな非モテに限らずふつうのネット運動(というか現象?)とは本来そうしたもので、それこそ幅広い突っ込みビリティ・多彩な深読みビリティ・執拗なまでの内外言及へのフィードバックに、高い自己完結性まで備えてたモヒカン族が(コミュニティに提供されるネタとして)出来過ぎだったという話か。あれはいわばはてな界におけるポストエヴァンゲリオン的なアレか。ひぐらしのなく頃にみたいな。ひぐらしと違いモヒカン族は、自己完結の関係で出オチ気味ではあったが、それをフィードバック量でカバーするという。