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ラジオクリルタイ収録見学 4

もはや日付とは全然関係のない日記になっているが、気にせず昨日(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20070805#p1)からのつづき。といっても、そろそろまとめて書くようなことも思い当たらないな。気になったのは「趣味の活動を続けていくこと」関連くらいなので、雑然とメモ。

  • オタクなりサブカルなりは、趣味の追求に忙しいので、自分がモテるかモテないかとかで悩んでいるひまがあまりない。したがって、「オタクでもサブカルでもないけど気質としてはそれに近いひと」が、いはゆるはてな非モテ的な存在として浮き出てきたといえる。ただしそれは、オタクなりサブカルなりがはてな非モテ的な漠然とした鬱屈と無縁であるという意味ではない。情熱が薄れ趣味の活動が減退していけば、オタクなりサブカルなりの中年以降に残るものは少ない。その先にある「ここは特に好きではないけどほかに行きたいところもなく、できることもやりたいこともあまりない人生」は、つまり(おそらくは)真に非モテということだ。ただ、その状態に問題を感じるかどうかは重要で、それを感じないひとは非モテとはならない(「リソースが乏しいなりの豊かな人生の過ごし方」みたいなものへ辿りついているか否か)。非モテは、いまのところ外部からそう判定されたひとをどうケアしていきましょうかという話ではなく、そう自称するひとたちがどうなっていくのかという問題だから。そして、「自分が異性にモテないこと」に対してこだわろうと思う人間は、(そう主張することによって参画できる界隈が十分に大きくなっていれば話は別だが)それほど多くないんじゃないかと思っている。
  • 非モテ非モテをこじらせずに済む方法のひとつが、居心地のよいホモソーシャル空間を確保することだ。クリルタイのひとたちがやっているように。ただ、活動を続けていれば出会いだけでなく別れもあるだろう。まあ社会人活動ってそもそもつながりが希薄なものだから、「別れ」ってほどイベントとして意義深くもないのだが(一過性の興味だったり、引越したり、もともと土日あまり休めない仕事だったり、彼女ができてネットの知り合いとあそぶひまがなくなったり、優先されるべきものはいっぱいある)。はてな非モテの集まりはわりと初期から見ていると思うが、この界隈では見かけなくなった顔も結構思い浮かぶ。今居る顔と今居ない顔の、どっちが笑顔の数が多いのかなーとか漠然と思ったりもするが、まあそれはなにかの基準になるような考え方ではない。
  • そういうのとは別に、これは細々と場を運営していくぶんにはほとんど心配する必要のない事態の話ではあるが、活動の過程での軋轢や、あるいはそれが実を結んで対外的になんらかの大成功(と何らかの観点からは評価可能の結果)を収めてしまったときなどに、その大成功が原因で内部に揉め事が起きてしまったりすることも往々にしてある、ということも忘れてはならない。おれはオタクであって非モテではないので、あんまそのへんについての非モテのひとの感覚がどうなのかはわからないが、仮にその活動上で、ある意味うまくやりすぎてしまったがゆえに(結果として)友達を失ってしまうような事態に直面したとき、けっこうきつい思いをするんじゃないのかなあと思った。オタクでもこの問題は結構重たい。が、なにかを組織的にやる場合には避けられない場面でもある。まあ、「げんしけん」的な場の維持だけを目的とするサークルならそんなこと滅多に起きないけど。
  • まあ、なんだ、仮定として「非モテ活動を通じて友達を失う(≒非コミュに近づいてしまう)かもしれない」という状況があったときに、そのひとがどう選択するかについて、容易には評価を下すことができないなーというか。そこには当然様々の葛藤があるはずなのだ。

とかなんとか。考え出すといろいろ出て来はするけど、このへんにしとこう。