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東京ヘッド

大塚ギチ「東京ヘッド」

先日メモした「オタ語としての「バグ」と「仕様」の経緯 のメモ」(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20050428#p2)に関連して指摘があった。

大塚ギチ『東京ヘッド』にその事件に関する記述があるので引用します。手元にあるのは 2000 年に美術出版社から刊行された新装版。件の事件は P.99 から P.103 にかけて、こう記されています(「*2」「*3」という部分は、引用元の本では脚注)。

なるほど書籍か。…てうわーおれその本もってるよ!大塚ギチ氏じゃないか!おれ大塚といえば第一に芳忠氏(ヤザンとかフルハウスのパパの声のひと)、第二に明夫氏(ムーミンパパとかネモ船長とかの声のひと)、そして第三にギチ氏というくらいのランク付けなんですよ。でもべつにこのひとがなにやってるひとなのかとかあんまり知らない。東京ヘッド以外の著作とか持ってないし、別の読んだこともあんまないはず。つまり知らんのだけど第一印象がよかった。今後の印象累積で変わるかも。ともかく好印象を 2000 年まで覚えていて、だからこの本を買った次第。なんかわからんけどあまり大柄とはいえない体格に対しても微妙に狭いダンボール箱の中で、不自然なポーズで力みながら書かれた文章みたいな印象があった。ほかに大塚姓といえばー…、愛氏とか英志氏とかか。名前は知ってるけど重要じゃないですよオタマッピング的には。

で「東京ヘッド」だが、これはおれが手元に残しているバーチャ関連の唯一の書籍だ。ムックとかマニアックスとかリラックスとかなんとか、なにしろどの程度の規模だったのかはよくわからんけどバーチャは確かに流行ったから、おれもはまって、本もいろいろ買った。ほんとどうでもいいような本も出たと思う。江川達也東京大学物語」パロディの「バーチャファイター物語」とか。さすがにそれは買わなかった。けどサークルの部室で読んだ。確かそんとき後ろでK先輩が黙々と独歩頂膝の練習してたと思う。40 分くらい。オタ精神文明におけるセガ文化は「ストイック化」という芸風を示し、バーチャブームはその最たるものだったと思う。まあそういう話はいい。

でまあ当時のおれといえば引越しとオタが一体化した人格だったので頻繁にヤサを移す。引っ越すたびに荷物は減っていく。減っていくというか、減らす。捨てたりあげたり売ったりする。金がないというのもあったが、溜め込んだ荷物から開放されるというのは快感だ。だけど純精神的にだけではオタは成り立つまい。だからひとつのジャンルについて、いっこだけこれがこのジャンルを代弁しているってことでいいやと決めて、それだけ残してあとは捨てる。ある種のトーテムみたいなものかもしれない(いいすぎか)。神林長平だったら「機械たちの時間」と迷って「戦闘妖精雪風」とか。バーチャだったら「2 マニアックス」と迷って「東京ヘッド」とか。なお、シリーズものは基本的に全捨てだ。上下巻で二冊になってたりすると選考外。涙を呑んで次点以下の一冊本を選ぶ。またはシリーズ中の一冊だけ抜き取る。たくさんあっても捨てていいかなというものは全捨て。荷物は軽いほうがいい。1 という数字はわかりやすい。0 という数字もわかりやすい。

…という経緯を経て選んだ「東京ヘッド」であるのに、すっかり忘れてたよおれがそれ持ってたの。原因はいくつかあって、現住所に引っ越してからは、そーいうハングリースタイル以外の生き方を模索しはじめた(最近はけっこうゆるくものを選んでいるし、買っている)というのがあり曖昧化が進み、おれのバーチャ現役年齢からの経年があり、「たとえ荷物を絞っても、いずれ荷物の重さを増やさないことにはならない」問題もあり、あとそのような暮らし方をしてきた関係で「おれ自身が資料性のある物件を抱えていることはほぼなく、あったとしてもおれが持っているぶんだけで何かを証明しようとしても必ず足りなくなるだろう」という前提が漠然とあって、だからなにか知りたいことがあっても、自分の持ち物のなかから答えを探すという習慣が身についてないというのが大きい。検索エンジンの高性能化はそれを後押ししたと思う。なんかまたとりとめのない日記を書いてしまった。