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いや、やっぱり伊藤和典脳はオタ的に粋じゃないわ

ホラーや SF やポリティカルスリラーもののフィクションでよくある「ものすごい災害とか危機を目の当たりにして騒然とする人々の中、ただひとり淡々と聖書の一節を諳んじる」という行動がちょうかっこいいので、死ぬまでに一度やりたいと思ってる。

伊藤和典氏脚本好きとして、おれも是非一度はここぞという場面で聖書の引用台詞を喋ってから死にたいと思っていたんだけど、よく考えるとこれ状況としてはあんま粋じゃないんだよね。というのは、

「(略)…我が名はレギオン、我々は大勢であるがゆえに」「マルコによる福音書、第五章九節か…」

ていう遣り取りの一セット、ここでおれの聖書引用にあわせて出典を呟いてくれる相方を探してくるむずかしさ…についてはひとまず置くとして、ともかくその相方の行為が無粋。ここでのオタ的に「上等な」レスの返し方は台詞の出典を明らかにすることではなくて、むしろそれは伏せたまま、「同じ作品の別の文章や、または似たような状況を描いた別作品の(別の視点を提供するような)文章を引用した台詞で返す」ことなわけ。だから伊藤和典氏ファンとして「これできたら死んでもいい」という達成目標は、「(宇宙怪獣が出現したときなど)誰かが近くで聖書引用台詞を呟いたときに、それを受けて同じ出典の別の引用台詞で返す」ということ。ハードル高え。つまり、あれだバトーとトグサのリアルタイム引用会話。

でも「イノセンス」の脚本は伊藤和典氏じゃなくて押井守氏が直接やってんだよね。だからか。伊藤氏ならトグサに元ネタをガンガン読み上げさせただろうか。いやそういうもんでもないか。聖書なら、出典を読み上げるんでもなんとなく格好つくけど、哲学とかなんとかだとそうでもないかも。アニメ漫画ゲームとかになると身近すぎて「認めたくないものだな、自分自身の若さゆえの過ちというものを…」「ファーストガンダム第一話っスね」みたいな味気なさすぎるザマに。だんだんイヤになってきて「そろそろ仕事の話をしないか」「そろそろ現実の話をしないか」とか投げ遣りになってくるトグサだが、調子に乗ったバトーは「時には昔の話を」とか返してなかなか現実に帰ってこないのだった。紅の豚 ED、作詞作曲・加藤登紀子氏、か…。