八曜会
八曜会カンファレンスに参加。一年の締めくくりとなる今回は「オタ漫画を持ち寄る」という名目で酒を飲む会となった。あまり締めくくってるかんじはしない。実際そのようになった。
集まった漫画リスト。
- 花沢健吾「ルサンチマン」
- 木尾士目「げんしけん」
- 大岩ケンヂ / 滝本竜彦「NHK へようこそ!」
- 平野耕太「進め!聖学電脳研究部」
- かかし朝浩「ふぁにーふぇいす」
- 羽海野チカ「ハチミツとクローバー」
- 二ノ宮知子「のだめカンタービレ」
- きづきあきら「ヨイコノミライ!」
「ハチクロってオタ漫画ですかね?」とかたまに訊かれるが、おれとしてはハチクロはオタ漫画だと思ってるから読んでいるのであって、おれの立場ではオタ漫画だとしかいえない。あと今回は「どうにもこうにも「げんしけん」を読むことができないおれが、今度こそ「げんしけん」を読む」というきっかけのための会でもあったので、いちおう頑張って一巻の三話くらいまで読んだ。だめだ目が紙面に引っ掛かってくれない。けど事ここに至ってやっぱりそれでも読みませんでは話にならないので、借りて持ち帰って読むことにした。年内までには既刊完読する。
飲み会のほうだが、いつにも増してグダグダのオタ話になってしまったためほとんどログらしいログがない。かなりバラバラ。細かいところは自主規制削除。
- 「mixi での望まない再会」問題
- 邦楽話
- ※ このへんはおれがまんべんなくわからない話題なので、メモもちょっとおかしいかも(←内容を理解しながらメモってない)。
- あと音楽界における産業産業サブカル話とかなんとか。
- 「けんしけん」話
- ※ 結局おれまだ「げんしけん」読んでないので、メモもちょっとおかしいかも(←内容を理解しながらメモってない)。
- オタにすごく都合のいい世界
- http://d.hatena.ne.jp/kanose/20041126#genshiken
- 辛うじて現実の存在を臭わせる存在としてサキが居る。主導権は弱い。
- 天敵の居ない世界上に安全に隔離された(または存在を仕様上で軽視できる)オタ、西表島におけるイリオモテヤマネコ的存在=げんしけんの面々?
- 「げんしけんのエロ同人で大野さんしかやられてない」問題
- 本当に?
- 「ふつうならサキでは?」「オタの瞳孔には大野さんしか映らないんですよ」「サキはオタ妄想(=二次元ちんこ)をスポイルする現実側面を代表しているから、サキ=エロが成立しづらいのでは」
- 「大野さんにしか向かっていくことのないオタ性欲はなにを意味しているのか?」
- オタにすごく都合のいい世界
- 「NHK へようこそ!」話
- 「小説版は暗いけど漫画版は明るい」
- 「漫画の主人公は、性癖こそオタなもののやたらアクティブ。小説の鬱屈をドタバタギャグに昇華している」
- このへんは椎名高志氏作品(「GS 美神 極楽大作戦!!」等)に通じる気がする。
- 「趣味をポップにアピールできるオタは、それでモテになればいい」問題
- 近年のテキスト系サイト群の OFF 会好きの傾向
- 「趣味のポップ化による個性モテ」と「相対的にモテる」の群集モデルを応用した形。
- モデルはオタ社交と似ているが、テキスト系サイトは本質的にオタ的でない部分を多く含む点に注意。
- 近年のテキスト系サイト群の OFF 会好きの傾向
- 「オタに彼女ができるとして、彼女もオタであってほしいかどうか」問題
- 異形のモテ観
- 女の子と付き合うのがむずかしい。
- ふつうの会話さえできない。
- だからキャバクラいって会話を鍛える。
- キャバクラいってるのはモテ勝ち組。
なにか切羽詰った情念は感じるが、支離滅裂だ。
- 「原理的にキャバクラを真に必要としているのは、まず非モテ男であるはず」
- 「彼女が欲しい」→「女の子にモテたい」に至る過程で読み替えがある。それは自覚すべき。
- 「人生はみんな局地戦。でもオタは標準的な強さを求めようとする」
- 「オタによるモテ・非モテ話の是非」問題
- ※ このくだりは八曜会でなく主にチャットで盛り上がっていた話題なのだが、ついでなのでここにメモしておく。
- そもそもオタが「モテ」とか「非モテ」とか言い出すのはおかしい。そんな言葉はオタ語ではない。どこかの時点で文脈を読み違えた可能性がある。
- 原点に戻ると、この「モテ」って単語はどこで発生したのか?
- そもそも、なぜオタがモテとか非モテとか言いはじめたのか?
- 「消費スキルが上がって、作品以外にも目を向けるようになったってのもあるとは思う」
- 「最近のオタは自分が一番好き」「作品について語るよりも自分の内面を語るほうが楽しくなる(≒それらが同列になる)」←「自分」よりも優先しておもしろがれる「作品」がなくなったことから。
- 「絶対的な神様がいなくなっちゃったっていうか」「作品は商品にすぎないことがわかってて」「作品語りが商品語りと変わらない」「すくなくとも自分自身を語るぶんには、まだ商品語りでない部分(旧来的な「作品語り」的なもの)があるはずだという点で、清潔と思ってる部分があるかも」
- 商品によって形成される人間は、商品的な人間になっていくのではないかという気もする。
- 「エヴァンゲリオン当時には、そういう空気はまだなかった」←でなければ、作品論で顔真っ赤にしてまで議論できたわけがないことから。
- もともとオタクが好む自己言及と、新しい「自分が一番たのしめる」が融合した形?
- 「いろいろ並べて対比させることを、ギリギリおもしろがってるかんじ。そのぶんひとつひとつの作品はオーラを失って、小さくなっていってしまい…」「そうですね。「見てる自分」ってものを意識するくらいしか、ある帯域についてやることがなくなった」
- オタ作品というくくりはもはや難しくなった今、オタについて語る作品のみがオタ作品に最適であるという意味で、「げんしけん」はバッチリってことで?
- ううむ、しかし…。外部からは「そこにしか着地点がない」としか見えなかろうから、そこへ向けて作り込む合理もわかるけど、しかしそれこそがオタの望むものであるかどうかは、疑わしい。
- そのほかおもしろ台詞クリップ関連