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墨攻

ドール041227B | 3 of 4

特に気にしていなかったけど、もしかして要点のひとつかもしれないので一応明記。墨攻は「ぼくこう」と読む(表紙に読み仮名が振ってある)。ずっと「ぼっこう」と読んでた。

おもしろかった。「死の棘」を読んだあとにはこの本の薄さがなんとも心地良い。澄んだ水のように軽い。昼飯時に読み始めて、晩飯食い終わる前に読み終わってしまった。人の生きざまや命の重さと紙の重さを比べたときに、小説と現実の違いは克明になるが、両者から感じ取れる質感を近づけていく技術を小説術とすれば、並の作者が内容をひたすら克明に重たく描くことによって人間一人を紙面に描ききろうとするところ、酒見賢一氏の書きざまは人の命いっこぶんの重さを認めながらそれ自体紙のように軽く描いてしまうところに特徴があるのだろう。だから氏の小説において人間は、何の価値を損なわずしかし現実より軽やかなかんじがする。単に軽んじるのとはまったく違う。見方によって超然としているといえるのかもしれない。

後宮小説」にも渾沌という変人が居たが、今作では主人公の革離が変人。時局の潮目に変人が本領を発揮する話は読んでてたのしい。つまりファンキーモンキーパッションファンク。酒見氏は変人が好きなんだろう。または変人を描くのが得意だ。また、後宮小説でもそうだったが天と地の対比がおもしろい。皇帝と庶民、双槐樹と銀河、始皇帝と革離、それらはべつに作中で明示的に対比されるわけではないし、というか皇帝側の内情や真意などはむしろ意識的に描かれておらず(墨攻における始皇帝などは後世視点で名前がちょっと出てくる程度だ)、曖昧なのだが、しかしどうもこのあたりになにかありそうだなという気がしてならない。酒見氏は変人もだが、皇帝も好きなのかもしれないなあという気がする。考えてみれば皇帝というのも滅多なことでは就けない職なんだから、立場的な変人といえないこともない。

革離の運命は漫画版とは随分違ったものになる。それは漫画版が 11 冊あるのに対して小説が一冊で収まっていることでもわかる。人間なので結局は死ぬのだけども。

陋巷に在り」シリーズも、この際だから買ってみるか。