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自分の名前

「宅急便でーす」と呼ばれて受け取りのサインを求められたとき、自分の名前を思い出せなくて、しばらくぼーっとして宅急便のおっちゃんに妙な顔をされた。あぶないあぶない。

中学の頃だったかに読んだ「世界のなぞなぞ」みたいな本の中に、インドか中国かそのへんのなぞなぞで「自分のものだけど、他人ばかりが使って、自分で使うことがほとんどないものはなに?」みたいなのが紹介されていた。その答えが「自分の名前」なんだけど、なにしろ自分ではほとんど使わないもんだから、そりゃ忘れることだってあるよな。

名前にまつわる文化や命名行為の重要性を軽んじるつもりはないけど、そういうのとは別に、最近名前の意義が薄くなってるかんじがする。仮名とか偽名とか個人でたくさん使う機会を、持とうと思えば持てるようになったというのもあるし(おまけに仮名や偽名は意識的に使うものだからこっちのほうがむしろ本名より忘れにくい)、逆に匿名や「名無しさん」などの展開もあるし、あと根本的に「重要なものとしての名前」を利用する仕組みが「名前」単体じゃなくて「名前+(なんらかの)パスワード」のセットに置き換わりつつあるかんじするのでなんか影が薄くなった(以前は名前+印鑑だったので「名前+名前」で、けっきょく名前だなあという印象があったんだけど)。事務的で複雑なものの一部に小さく格納されていっているかんじ。そういう点では機能がより多く付加されていっているわけで、重要度が低くなったわけではなく、むしろ高くなってきているとも言えるとは思うけど、ユニークだったり唯一だったりするような、なにかまるで神聖なものであるかのようなオーラを、名前というものからは感じにくくなった。それともあれか、連続性を保障しなくったってどうにでも生活できるよう基盤を再構築していくっていうのが、勝利すべくある科学などが目指すべき世界ではないのか?みたいなへんに政治的な考えがおれの脳内でも働いているのかな。

名前は、それを呼ぶ必要があるひとがその場で適当に考えて(その状況下で呼びたい相手を特定するのに十分な冗長性を備えた文字列であればよい、たとえば「パーマのおばちゃん」「でかいひと」「全身ユニクロ」「整理券 310 番お持ちのかた」)、それを実体に当てはめればいいのだ。わざわざそんなもの(おれの名前)おれがあらかじめ準備しておくのは億劫なかんじがする。呼びたいなら呼びたいほうが決めてよ。一時的っていうかその場限りで通じればいいんだから、てきとうでいいし。「無礼者、名を名乗れ!」とか言われたら「どうも、無礼者です」とか返事すればそれで問題なしみたいな。

考えれば考えるほど、やっぱり各人名前持ってたほうが確認の手間隙が圧倒的に小さくて済むから、いいってことになるな。あと本人が「いやおれじゃないよ」と嘘ついた場合にでも「いやあんたです」と呼びかけた側で確認できる仕組みも要るだろうし(犯罪者を問い詰めるときとか選挙でズルさせないようにとか)。

一歩進めて、人類が互いに「ちょっと」とか「おい」とか「あのー」とか呼び合って、それだけで各人一生を安定してはじめて終えられるような社会って、想像できないし、無理があるけど、あればあったでおもしろいのかもしれんな。あーでもそれだとやっぱりさびしいかな。べつに毎日名乗る必要はないけどたまになら、「こんばんわ、ラッシャー木村です」みたいなかんじで名乗るのもおもしろいだろうしな、たぶん。