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捏音たむ氏のあたらしい仕事、「kissing!!」(http://www.valhalla.ne.jp/kissing/)(←声あり注意)というエロゲーのオープニングムービーを見て、グリーングリーンからガナビーときて順当にブラッシュアップしてるかんじがするなあと思ったけど、しかし相変わらず捏音氏は長回しの魔力をモノにできないのだなあと思った、もうこれは性分の問題なのか?
何とおりかの限界が、氏のゆく手を塞いでいる可能性がある。感じ取れないなら感覚か才能の限界で、感じ取っていて実現できないなら環境か能力の限界、感じ取っててできるのにやれないなら根性と勇気の限界、でなければ、理想が高すぎるんだ、長回しの強力さは一種泥にまみれることでもあるからそれを避けているとか、そうならそれは現実の限界。限界というものは突破できるようにできているが、突破するまでそれは壁のようにある。
ぐーん、ぐいーん、まだまだー、まだかーっ、うおおりゃー!というような感覚が、氏のムービーにはない。とにかくサクサク場面を切っていくので見ててまったく酸欠状態にならない。それは軽くて口触りがよく、いいことでもあるんだけど、魅力重めで実質軽めの商売としては損な毛色でもあるだろう。視聴者をちっとは酸欠状態にももっていったほうが脳からいいクスリが出るので評価上げやすいと思うんだけどな。
氏のムービーの中で長回しへの意識を感じたのはアマチュア時代の出世作「awareness」だけだった。ラストちかく羽がぶわーっと舞いながらヒロインひととおりをなめるところ。なかなかのいやらしさ(=なめらかさ)で、ああこのひとはエロいなあいまどきのオタにしてはめずらしいやと感心したものだったが、それが唯一であり、その前にも後にもない。
外的な要因も考えられなくはない。
近いジャンルで(場合によって完全同業ともなるような)低コストに長回し的なパフォーマンスを織り込んでみせることで「なんとなくいいものを作っているように見せる」ことに長けたひとが、最近かなり有名になってしまったからだ。新海誠氏。
3D 物体のまわりをぐるーっと回す演出をいっこだけ入れることで空間的な立体感を微妙にアピールし、副次的にその世界、物語にも立体感をなんとなーく感じさせるという手法。それはユニークでもなんでもなく基本中の基本というべきだが、しかしそれが「新海誠氏オリジナル」であるかのように一般視聴者層に受け取られちゃった、もしくは受け取られちゃったのではないかという危惧が、同業(?)ムービー作者にならありうるだろう。
どのみち楽な商売ではないだろうし、となれば裁量内で実現しうる長回し演出パターンは限られていて、てことは低コストな長回し演出を考えてみても「それって新海誠氏のパターンに似てる」と言われる、または作っていて「自分がそう思ってしまうこと」がいやなんじゃないかなーとか、そういう可能性も、ありうるよなと思った。