そろそろ意味のわからなくなった書きなぐりの吐き出し
忘れて構わないようなことをわざわざ忘れることもないからという理由で残しておくのも日記に期待する機能のひとつだから。メモなので前提や中間や結論を飛ばして書いてあり、無茶な飛躍もある。正しくないことや明らかに誤っている情報も含まれる。
言葉ゲームの解:「金で買えないものはない」「金で買えないものはある」
「(自分は)ひとから買いたいものがたくさんある」「(自分は)ひとに売りたくないものも持っている」ということで、買う側の自分と売る側の自分それぞれ別個の視点に基づいているわけだから、言葉上で逆の意味になっているように感じるだけで、ふたつの台詞に矛盾はない。立場の違いで、シーンの違いではない。
「いい話にして忘れたい」の願望。物語にして煩わしさを捨てる。
いい話ほどよく眠れて、しかも簡単に忘れることができるから。ただそれを省みないだけでなく「HDD には保存しておく」という行為によってより脳内から消える時間は短くなるのかも。
2ch 発の flash にぽつぽつ見られる他人への安易な感謝、ポーズ。自分の近所のちょっといい話を感動的にラッピングしてみせる感性。明らかに意図的なテンプレ化の為された演出。記号的、ということはこれは手ごろな構造をもった感動装置と判断できる。そこにある魂胆は「さくっと感動しておいてさっさと忘れる」みたいな消費感覚か。一種の集団オナニーであるのは間違いないはず。一杯のかけそばリターンズ?
かれらは自身のそういう行動を数年後には間違いなくはずかしい記憶として回顧することになるが、それがあったこと自体忘れることができれば刹那的ないい気分だけを享受可能と理解し、そのように行動している?
一度エロゲーで感動してしまったひとは、その後エロゲーを(主により困難な状況において)すくなくとも脳内で肯定し続けなければならなくなるという業を負う、本人自身が「自分はエロゲーで感動したことがある」という事実を消費するまでの間は。たぶんそういう過程を経ることによってもオタは作品を消費するという行為に慣れていくので、エロゲオタは自分自身の大量消費をあまり省みない性質を一般的に持っているだろう。
「Kanon」当時、Key オフィシャル掲示板であばれまくっていたあのへんのひとたちが、現在どんな道を歩んでいるかが知りたい。「沢渡真琴は我が命、我が全て!!永遠の愛を誓う漢・狗法使い、ここにあり!!!!」(http://www6.plala.or.jp/brigade/erel/kuhou.htm)という発言をしていたひとなど。現在のかれらにとってあの時間は笑って話せる思い出だろうか、それともまだ回顧の難しい暗部だろうか、それとも、まだかれらは永遠の世界に生きているだろうか。
もちろん個々人、またその状況によって「永遠」の時間はまちまちだ。一瞬、刹那、1 イント、3.4 秒、三日、一週間、十年、死ぬまで、いろいろある。そんなことはわかっているが、下衆なおれはやはり自分が他人のそれに興味を持っていること自体は否定することができない。
- 参考:狗法使い氏のその後の情報
正義と悪の構図の中には、すくなくとも
- 正義
- 正義の味方
- 悪の敵
- 正義の敵
- 悪の味方
- 悪
以上六種類の立場が存在し、それぞれ特性が異なるので、これらを混同して考えるのは雑。
悟りというのは論理などで説明していたら何時間も何年も何十年も(あるいは数世代以上)かかってしまうような境地にいきなり到達する技術、いうなれば「突然の理解」のことと考えてみたので、だとするならたとえば坊さんなどは普段俗にあくせく働いたり考えたりしているおれとかよりもよっぽど効率への欲求が強いとも言えるのかもしれないな。
ふつうのやりかただと死ぬまでかかってもどうにもできないかもしれないから、それ以外の方法を模索しているわけだしな。のんびりして見える坊さんだけど、実はあれこそ精神的なせっかちの姿なのかもしれない。
自分が苦しいんだから相手も苦しいにちがいないという一種の期待によって頑張れる局面はあるが、自分が悲しいんだから相手も悲しいにちがいないという考え方は共感の押しつけに過ぎないので失敗する。
夜空は安心したい願望とドキドキしたい願望を同時に充たすエンタテインメントだろう。月見と天体観測は同じことをやっていると思う。