matakimika@hatenadiary.jp

WELCOME TO MY HOME PAGE(Fake) ! LINK FREE ! Sorry, Japanese only. 私のホームページへようこそ!

ボウフラ

日記にメモっとこうっていうかメモっとかないと忘れるようなどうでもいいことがそろそろかなりたまってるんだけど、時間が取れなくてどんどん取りこぼしているかんじ。曖昧なものを記述するっていうのはむずかしいのだなあ。

そういえば昔、小学校の頃、「ボウフラ」っていう言い方があった。その意は「すくいようのない」だ。揶揄する場合などで使うのがクラスで一時期流行ったのだが、まあこのボウフラ自体はどうでもいいのだが、その意にあたる「すくいようのない」というのは文字通りに考えてみればけっこうむつかしい状況をも説明する。途方に暮れる。手持ちの表現が少ないので、すくい上げようのないほど細かい、またはすくいあげようとすれば形が変わったり壊れたりなくなってしまったりするような曖昧なもの(まだ「もの」と呼べる状態になっていないものや、もともと「もの」という状態まで固まるはずがないものなど)っていうのは、書き記す方法がないのかもしれないなあとか。

そんなことはないいずれいまより日本語がうまくなったら、以前には書けなかったような曖昧なものだって表現可能になるはずだという短絡思考(=信仰心とも説明できる)もおれにはあるので、あきらめているわけではないけど、このあきらめのなさっていうのは、自分が死ぬまでもってればよいとかそういった程度のものだと自覚してもいる。期間限定の、嘘でもほんとでも実はどっちでもいい、とりあえずこっちだと信じていればそのほうがきもちがいいから為されてる決定だ。

自分いっこぶんのための信仰などはいかなる論理も支えはしないので、おれがきもちよくなるためにはまた違った信仰も同時に必要で、ステレオ以上の信仰をもって世界構築を行わなきゃリアリティが感じられないっていうのはつまりそのことによっておれの生まれ育った時代状況を説明するのかな?とか思っている。

わー、むつかしいなやっぱり。