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病垂れ

どこでもドアテクノロジを使って空間がパケット化された社会における日常はどのようなものか、とか、ぼんやりと考えながら天井を眺めていた。おはようからお休みまで、ゆりかごから墓場まで、戦争から平和まで、いろんなことが妄想できるが、なかなか体系としてはまとまってくれない。

このままだとほんとに動けなくなりそうだったので必死こいてコンビニまで行って、暖かいものを食うと吐きそうだったので冷たいおにぎりを3つばかし買って(種類が何だったかもう忘れた)、みちみち食ってごみを途中の公園のゴミ箱に捨てて、道端の自販機でジュースを買って、帰ってきた。なに食ってもまずいのはわかってたけどまたおにぎりがまずくて困った。最近のめしは食いやすくなる一方だけどそれでも食いづらかった。でもこれはコンビニのおにぎりがまずいっていう話ではなくて、むしろ最近のコンビニおにぎり部門のがんばりはそれはもうたいへんなもので、単に今おれがなに食ってもうまいと感じない状態だっていうことだから、おれが気にする必要のあることじゃない。

というかめしなんていうものは、もともとうまいに越したことはないけど、べつにうまくなくったっていいのだ。あたりまえのことだ。まずくったって腹が減ったらなんでも食えるのが人間だ。うまくないと食えないなんていう胃袋を持ってるんならそいつは多分人類じゃない。うまくないとダメっていうなら、まずかったときに怒ればいいだけで、うまくっても笑顔になる道理がなくなる。標準っていうものがあって、その上その下がある。上を標準にもってきたら、下しかない。それは不幸で、かなしみだ。

べつにうまくなくったっていいのに、うまく作ってくれるひとが居るから、めしの時間がうれしいのだ。食事は死ぬまで続ける行事なので、そういったことでよろこびを見出せるってのなら、それは人生におけるよろこびの質量を増やせる考え方だから、めしがうまいとうれしいっていうのは、あったほうがいい感性だ。

という考え方は、とても重要なもののひとつだが、これがすべてじゃないので、こういうふうに考えていてばかりでは世間は成り立たない、どういうふうに成り立たないのかというと、つまんなくなる。これはもう必ずつまんなくなる。歴史的にそうだ。

愛は望遠と至近でそれぞれの伝わり方をするが、中距離では伝わらないからだ。