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the social network 再視聴関連

Podcast の町山氏のソーシャルネットワーク評にモヤモヤして以来何度かソシャル見てるわけなんだがこの映画疲れるんだよね、早口だから、なんかやたら濃い OFF 会に居るよーなかんじで。

  • ザッカーバーグフラタニティのありようをすばらしいと思い、その価値観を内面化し、ギラギラしたリア充空間に憧れたから、そこに入りたかった、わけがない、ザッカーバーグの価値観は一貫して「クールじゃないやつはダサい」で、そして彼は彼からみて常にクールだったし、ウィンクルボス兄弟は常にダサいやつらだった(ただし、ダサくても成功者ではあったので、そこに利用価値がないわけではなかった)。で、サベリンもダサくなっていった。そんな連中の仲間に?
  • そんなものに頓着しないからこそ、彼は自分でクールなソーシャルネットワークを作り、それをより成長させるためクールなフラタニティを(西海岸で)作った。フェニックスなんかくだらない、そんなものに復讐したいなら彼はそれこそ卓球場を買うこともできた。が煽るだけで実行してはいない。それはクールな行為じゃないからだ。
  • ウィンクルボス兄弟の訴訟は、ようはリア充が「自分たちが勝者であることになっている価値観」に頓着しないヤツの存在を信じられなくて「あいつはキラキラしてる俺たちに執着しているんだ」と妄念にかられて執着している、という、よくある構図として描かれている。完全に非クール。ザッカーバーグがパーカーを切るのも、パーカーのサベリン切りのやり口がクールではなかったからだ。エモくてダサい切り方だった。自分を引っ張り上げた先輩パーカーの地平をもはや飛び越えたことを自覚した。ザッカーバーグはパーカーを「よりクールに」切ってみせた。これが師匠越えでなくて何だ。
  • ザッカーバーグのキャラクタは、映画における新しい、というよりあんまりお話にならないタイプの、コンピュータオタク像だった。つまり彼は一貫して「自分が欲しいソフトウェア」でなく「みんなが欲しがるソフトウェア」を作り、それがヒットし続けた。奇矯な技術主任でなく社長として経営を握った。誰にも理解されないし使い方もわからない欠点だらけのスーパーメカでなく、誰にでも理解できみんなが使いたがる SNS を作ったマットサイエンティストだ。しかもダサいやつらにその上前だけじょうずに持っていかれて技術領域でだけ満足しているようなタマでもない。ニーズを見つけたら開発せずにはいられない技術者魂だ。エンジニアジョークで壊れたギロチンに掛けられたエンジニアが「ちょいまち、どこが壊れてるのかわかったぞ!」と叫ぶみたいな話だ。もちろんそれだけではないがゆえに CTO ではなく CEO なわけで難物なわけだが基本は外していない。
  • Facebook の開発がはじまって以降のストーリーというのは、ようするに「仕事に集中したいザッカーバーグが、ザッカーバーグからみてダサい(彼ら自身は自分たちをイケてると思い込んでいる)連中に延々邪魔され続ける」という話だ。そして根気強いことに、彼はちゃんとそれらに付き合う。その誠意というか、まあ打算含みだが、ザッカーバーグ人間力の素晴らしさたるや。こんなどうしようもない連中の話に付き合ってやるなんてザッカーバーグは大人になったよ、だってダサい連中のダサい執着に付き合うのはダサいんだもん。明らかに許せないその時間をザッカーバーグは耐え抜く。
  • だから最後のシーンは、ダサい連中からみれば「彼は孤独の極地に至る」なんだろうがザッカーバーグ視点では全く違って、「ようやくダサい連中のケッタイで面倒な厄介事から解放されて、一人になれた」クールなリラックスタイムなのだ。この開放感。そのうえ現在抱えていた仕事も(弁護士が来るまでには)片付いて申し分ない。最後にザッカーバーグがエリカのことを思い出すのは、つまり「今日も今日とて満足のいくケリがついて、暇になったから」でしかない。もちろん思い出す直接のきっかけは、今日の話し合いで昔の話をたくさんしたからで。
  • 彼の F5 連打も、べつにエリカとの関係を切望しているからではない。ザッカーバーグのスピード感ではそのくらいの感覚でレスポンスがないのはおかしいからだ。映画冒頭の会話シーンでザッカーバーグとエリカの会話の速度は全く噛み合っていない。あれと同じだ。ザッカーバーグは作品を通して様々な面で成長しているが、これは彼の成長していない部分、つまりユニークでほっとけない部分、チャームポイントといっていい。それは非難されるようなものではない。彼が成長していないというなら、相変わらずレスポンスの遅いエリカだって何も成長していない。
  • …で、おれが感動したのは「映画が公開された時点で、もう Facebook は F5 キーを押さなくても自動更新されるようになっていた」点で、つまり映画のラストの彼は F5 キー連打しながら「誰が F5 キーなんか押したいんだ?」と考えていたのかもしれないと思い至ったのだ(→http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20110128#p2)。

「映画の終盤に至っても、ザッカーバーグはフェニックスに執着してエリカを忘れられないのだ」というのはウィンクルボス兄弟側の考え方ではないか。