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ひとが死んだときにしか日記を書かなくなる問題

もうかなり昔の話になってしまうが、matakimika 名義ではない web 日記が、いやそれは「そのジャンルで何かあったときだけ書くやつ」だったので日記ではないなにかだったのだが、ともかくそれの、最新三件の post が「誰かが死んだ日記」になった時点で、更新止めちゃったんだよね。なにか気力が萎えてしまった。ひとが死んでいないことも書いていれば、そんなふうには思っていないのだが、たまたまそのジャンルの関係で、続けて三人死んじゃったので、そういうことになってしまった。

で、それはそれとして、この日記も何年かに一度書けばいいほうみたいなかんじになっていて、そんなふうなら適切なタイミングで全部消したほうが、おれの考えではおれにとっても世界にとって良いことなんだがな、というかんじなのだが、一方「いままさにブログの時代だな!」みたいなパッションを…去年だったか…一昨年のことだったか…思い出せないくらい前に受けたこともあって、いまさら日記でもたまに書く暮らしに戻ろうか、というような気持ちも若干あって、どうしたもんかとボンヤリしている。

日記をやめた日記に日記者がたまーに戻ってきて更新をする、という切欠として「誰か界隈の有名人が死んだ」のタイミングてちょいちょい出てきて、これからドンドンそんなふうになってくんだろうなーと思ってるんだが、あれもなんか積み重なると、最初に書いたような「自分の日記読み返したら、最近全部誰かが死んだ話だ」みたいなことになって、真っ暗になっちゃわないか若干不安よな。で、それより不安なのが、誰かが死んだときに、「ひさびさに日記でも書こうかな、それともあのひとについては書くほどでもないかな」とチラッと逡巡してしまいやしないかということで。おれはいまなにを判断しようとしてるんだと、余計真っ暗になっちまうと思うんだよね。なんか、やだねほんと。そーいうの。日記はとにかく書き続けていないとね。すべてを量で押し流していかないと、一日や二日の感情が、一年や二年のすべてだったかのような気分に後からなって、そんなものはウソなので、