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おれが結婚した関連

  • まさかこのおれが結婚するとは予想外の展開だったのでこの一年くらい驚きっぱなしだし、途方にくれているようなところもある。とはいえ眼前から生活が消失するようなことはなく、正気だ。
  • 妻との出会いと結婚に至る経緯は、お互い設定年齢が 10 歳くらい低かったらエロゲか少女漫画かと疑うよーな展開なので、日記しない。わりあいユニーク気味のオタ惚気エピソードもいくつかあるが、その件ですでに数人からことあるごとにチクチクやられていて地味にダメージがあるので書かない。
  • 結婚生活がどうなのかといえば、まぁはっきり言ってラブラブであり、妻に膝枕してもらいながら「ひだまりスケッチ」を見たし、お尻を撫でながら「四畳半神話大系」を見たし、おっぱい揉みながら「日常」を見ている。独身アニオタの友人たちから殴る蹴るの暴行を受けても文句はいえない。ただし h8ctrl には初手から失敗しており、アニメ漫画ゲームインターネットに嫉妬され毎日肩身が狭く、おれが最近 XBOX 360 から遠ざかってしまっている一因もそこにある。そこいらへんは改善の余地がおおありだ。
  • matakimika 名義の日記でおれの結婚の件を書いておくことに関して、日記ポリシー的にだいぶ抵抗感があった。でもまあポリシーに反することをこれまでに書かなかったわけでもない。あと妻はおれの日記のことをかなり前からよく知っているので、彼女と結婚したのにそのことを書かないのはなんとなく肩身が狭い(←べつにやましいから書かないわけではないんだけど、「書かないのはやましいからなのか?」とか詮索しうる余地を妻に残すのは健全ではない)、という事情もある。
  • 親しい友人知人には一年半ほど前から結婚するつもりであることを伝えてあったので、「まだ入籍してなかったの?」とか「え?いまさら?」みたいな反応をもらった。おれがわりと制度とか手続きとかダルい系の人間であるという事情もあるが、婚約から結婚に至るまでの期間にまあよくもこれだけ詰め込めたもんだと思える各種のゴタゴタがあって(本当大変だった、でもまあ二人のラブは揺るがなかったよ)、結果今日までズレ込んだ。しかしここまで遅れた理由の最大は、おれが決断できない男だということに尽きる。
  • おれは妻とでなければ結婚しなかっただろう。実際二年弱前までおれの未来予想は「独身者として死ぬ」以外白紙状態だった(というか人生の身軽さをエンジョイしつつ無計画に生きてきた)。それが結婚する流れになったのは、まるでご都合主義であるかのような偶然の連なりがあったり、長年にわたる巡り合わせのようなものがあって、そこに僅かばかりの意志が絡んで、両人共運命的ななにかを共感したことによる。予言同様、運命もまた合意のうえに自己成就されるものだ。長期的な生存戦略として結婚したほうがよかったのかどうかはわからない。貧乏なので、どのみち長期戦略とかは大して考える意味がないという事情はある。
  • おれは自分一人を納得できる期間生き長らえさせる程度の自信なら持っていた。というのは、べつに「充実した人生を送ることのできる余裕を一人分なら将来にわたって確保可能だ」という意味ではない。つまるところ「次の瞬間死んでも、まあしょうがなかったな」と思うことさえできていれば、誰がどんな状態からでも持てる自信なのだよねこれは。しかし夫婦となると話は別で、自分側の命だって簡単に「しょうがなかった」とは言えなくなって、一人分の精神安定さえ揺らぐ。やはり結婚はリスクが高いとしかいえない。子供が欲しいという話が先にあるなら結婚もまあ自然の流れかもだが、いまんとこ子供がどうとか考えられるような余裕はないし。
  • ともかく「しあわせにする」とか「苦労させない」とか、そういった将来の約束が可能なようにはできていない。未来には何があるかわかったもんじゃにないから。であれば、わかったもんじゃないようなものを前にして確約など不要だ、とはいえる。しかし必ずしなきゃいけないもんでもない結婚を、わざわざするからには何かを示す必要はあると思った。もちろんその責任はおれにだけあるわけじゃなくて、妻のほうも同様なんだけど、両者共に持つからといって相殺されるようなものじゃない。約束なんかしなくていい、とりあえず日々の苦楽を共にしていけばおのずと(どんな形であれ)ユニークな将来まで辿りつける、という納得の仕方もあるが、そういうものをおれは無責任と呼んできた。無責任でいいのか。はたまた責任を増やすということが、無責任の領域を拡げることと同義になっていいものか、悩む。
  • 去年末に自動車運転免許を取得した頃から漠然と思っていたこととつながるんだけど、つまり結婚て「(将来への(取れない)責任を負うことによって)ひとはオタクを離れヤンキーに近付く」の一例なのだよね。免許を取って、近所の道路を走りながら運転練習をしているとき、ヤンキー的精神・思考・行動様式みたいなものは、「自動車で公道を走る」という行為そのものから帰納的に導き出された境地なのではないかと考えていた。自動車を運転するのは徒歩でほっつき歩くのとはまるで違う。なにが違うか、それは第一に威力だ。自分一人のしでかしのツケが、自分一人の人生で収まらなくなってしまう。ヒヤリハットの不注意で、容易にひとが死んだり障害者になる。自分だけではなく、他人も巻き込みうる。これは恐ろしいことだ。大した努力をしたわけでもないのにいきなり巨大な暴力の中心に立ってしまう、そうしたとき立ち現れてくるのがヤンキー精神なのではないか。
  • グレートパワーに伴ったグレートレスポンシビリティを、抱えあぐねる精神側の未成熟、それを埋め合わせるための安定的回路。完全にクリアな状態でなくとも周辺状況によって素早く判断しなければならない。誤ったと気付いでもとりあえずはまっすぐ行かなければならない。ほかの通行者に迷惑をかけてはいけないけど下手打って立ち往生してしまったら開き直って脱出できるようになるまでその場で切り返すしかない。取り返しのつかないことになっても、それはそれで引き受けなければならない。漠然と走っているととんでもないところまで進んでしまう。というかそもそも目的地を決めずに走ってはいけない。無目的に走っているとどこまで走ってもどこへも辿りつけない…。「ヤンキー」という言葉自体はアメリカの白人を指すわけだけど、日本におけるポスト不良としての用語「ヤンキー」の精神的背骨は、道路交通法が作ったとしか思えないよ…みたいな。まあ今回、結婚によっても「あ、これってヤンキーだ」と納得する部分があったので、べつにヤンキーはバイクにのみ育てられるってわけじゃなさそうだなと思ったわけなんだけど(自由を手に入れるための「バイク」、落ち着くための「結婚」、というヤンキー二大通過儀礼アーキテクチャを規定する!)。ともあれ、そうした「空手形を切り続けるような擬似背徳感」から、ひとは「事情」に絡め取られていくのだろうかなー、と思った。もちろんこれはつまり「準備が足りなくても前に進まざるを得なくなったとき」ということで、それをやると決めたときすでに心の準備はできていた、というような円熟した状態が本来は望ましいのだけど。なんの話だったかね。
  • …ところで「入籍した」まで書いたあと軽く二週間くらい日記書いてなくて、いい加減書かないとまた二ヶ月遅延みたいなザマになるので、今回はこのへんでやめとく。たぶんいずれ散漫に散発的に後日につづく。来年とか。
  • あと 2011/08/08 は、坂本真綾氏の入籍日でもあるそうでめでたい。