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最近のインターネット - はてな匿名ダイアリ関連 2

引き続いて(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20080724#p3)。はてな匿名ダイアリにあり、ほかの匿名コミュニティにはあんまりない「自意識っぽさ」はなぜ生じているのだろうという、その原因には「コミュニティがシステムを選択する」「システムがコミュニティの性質を規定する」の相関関係があるだろう。ユーザの気質については前回書いたとおり、

「就職活動&新社会人系を代表とする、啓発耐性低いかんじの多感&こじれた界隈の集合意識が欲望するストーリー作成&消費の願望が、自己アピール×ライフハック×ケータイ小説みたいな悪魔合体を経て、なんかあんなかんじの有様として定着」みたいなかんじ

の理解でいいだろうと思っているけど、システム側にはどういう特徴があったんだっけなーと思ってはてラボにログインしてみると、なんとなくわかった。

  1. はてな匿名ダイアリは、匿名で発信できるメディア。
  2. ただし、はてな匿名ダイアリを利用するためにはユーザ登録が必要(一般的な匿名コミュニティはログイン不要)。
  3. はてな匿名ダイアリにログインすると、過去に自分が書いたエントリを自分のアカウントページで確認でき、後から(削除を含む)編集が可能。

この三番目が自意識っぽさに与えている影響は小さくない気がするな。一般的な匿名コミュニティの場合、投稿した時点で話者と発言が切り離されるんだけど(投稿ボタンを押した時点で、その発言の削除・編集権は投稿者からコミュニティ管理者に移る=感覚として「自分のものではなくなる」)、はてな匿名ダイアリの場合書いた日記は(ユーザ本人視点では)それを削除しない限りいつまでも「自分の日記」として認識されていることになるわけだ。当然、ログインすると自分の過去日記への反応をアカウントページで目にすることになるわけだから、そこに「日記を書いた人間として」再反応をしてみたいという欲望が後押しされると。

本人以外からすれば、(リファ漏れや、はてな社に照会するなど、知る方法がまったくないわけではないだろうけど)誰がどの日記を書いたのかなどわからないのだけど、「自分にだけ見えている真実」と「他者からどう見えているか」の両天秤に対して自分の欲望をご自由に BET できますみたいな状態だと、妖怪モトマスダが増殖することになっても不思議ではないわな。

以前「タイトルも本文もダミーに置き換わっているんだけど、エントリが削除されているわけではない匿名日記」があって、あれはなぜなんだろうと不思議に思ったんだけど、アカウントページのことを考えに入れると腑に落ちた。日記を完全に削除してしまうと、自分のアカウントページからもそれが消えてしまう。消さずにダミーに置き換えれば、「そのエントリの反応ツリーやブックマーク数、それぞれの詳細へのリンク」が自分のアカウントに紐付けられたまま残せるわけだ。「他人の目からは消したいが、自分にだけ見えている真実としては残したい」という欲望が、そうい痕跡として見えているんだろう。