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最近のよしなしごと

  • いつか誰か識者のひとに聞いてみたいんだけど、近年のオタ作品にポツポツみられる「宗教的精霊的存在が活躍する(場合によっては実在するものとしてある程度認知され、日常に溶け合っている)、非国家神道系の、保守系の世界設定作品」は、どこからきてどこへ向ってるのだろう。非常に大雑把な区切りでいうと、「オタ=全体的に右寄り / サブカル=全体的に左寄り」みたいな区別があって、それでいうとオタ向けに保守系作品ってのは筋としてはおかしくないのだけど。
  • 表現はひとに快感はもとより不快感も与えうる。ということから、「自分が他人に与える不快感」「他人が自分に与える不快感」のどちらからも逃げないという態度が、MAD 作者の場合の「誠実さ」だと思っている。配慮するという意味ではなく、単に無視しない、というレベルでもよくて。耐えられるうちは活動し、耐え切れなくなったら引退する。活動中に常にある誘惑は「目を逸らす」「正当化する」だが、そっちに行くとフォースの暗黒面、なんだけど、「校内喫煙にみるあたらしい学生文化」系のひとたちが意図してかどうかわからんけど援護射撃を行うと。見たいのは「仮に他人を傷つけてもおれは快感を優先する」というエゴかなあ?
  • 吹き上がることができるってのは才能なのだよな。いまどきの文化系は、年長者が年少者をフォローすることがほぼないので、率直さは、その気で守りきれるだけの努力と根性がないと保てるものではない。それができないやつはいじけたりひねくれたりして自滅していく。自滅についた名前は「成熟」。一方で自分の腐敗を自覚せず「自分はまだ吹き上がっていられている」と錯覚してるひとなども見ることがあり、どう受け流したものか始末に困るが、いずれにせよ希少例だから個別対処でいいのか。希少であること自体は価値を生まないとして。