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欲望をいってみろ

外見がオムライス状のなにかでも試作してみるかとスーパーにケチャップを買いにいったが、売場でケチャップを手に取ったところでふと我に返り、いや待ておれは本当にケチャップが欲しいのか、おれが欲しいものは本当にケチャップなのか、ケチャップは本当におれの欲望を充足させる最適の実体といえるか、とか脳内奇門遁甲が発動して、結局買うのをやめて帰った。豆腐は買った。豆腐はうまい。豆腐はすばらしい。豆腐こそがおれの望む完璧ななにかであるとはいえないが、豆腐を知るおれが豆腐を欲望するのは当然の帰結であると言い得る。がケチャップはな。ちょっと違う。違うけどとりあえず今ここにある、というだけの話だ。おれが今本当に欲しいものはケチャップではない、おそらくはチリソースだ。見た目はちょっと似ているが、これではない。違うものでもそれはそれで結局満足してしまうのも人間だが、それは欲望の結果ではない。

考え出すとけっこう面倒なのであまり深く立ち入らないことにしているが、まあこれもひとつのユニークな欲望問題だな。人間は知っているもの、あるいは教えられたものを欲望する。ということは、知らないもの、想像したことのないものは欲望できないわけなのだが、さて、自ら欲することと教育されることをあとから腑分けできるのか、はたまた、実は自ら欲しているわけではないのだけど欲すべきだ、それが自然だと教育されたものとそれ以外を自覚できるのかどうか、観念的に欲していたものと手に入れた実体に食い違いがあるときそれは残念なのか充実なのか、自ら欲するということがそもそもなにか、環境と関わってこその自己なのだからどのみち雑然とするが、そもそも仮にそういったことが明確になったとしてそれをどう扱ったものか、などなど。べつにほかの誰も持たないような欲望、という意味ではない、ひとのユニークさは環境側で保障できるので。サンマが食いたいとかでもいい。食うという行為に間違いがなく、それがサンマ自体であることにも間違いがない、ということがわかれば。なるべくそこに近づけていきたいような、べつにどうでもいいような。手に入る最善のものを手に入れて、そいつと一緒に年をとる問題とも合流する部分がある。