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あなたの人生の物語

筋肉

昨年の文フリ発行物の中の本命のひとつ、F さんのバーチャロンロン(のための準備ペーパー的なもの)を改めて読んだりした。おれにとってこれは良いペーパーだったんだが、K さんはかなり手厳しい評価をしていて、要するに K さんは編集者的視点で F さんのポテンシャルと本の出来のギャップを指摘し、おれは「F さんがあえてこの方法を採ろうとしたこと」自体に対する評価によって脳内でだいぶ下駄を履かせていたから、そこに違いがあった。どっちが正しいのかといえば明らかに K さんのほうだから、おれの感じ方はおれの胸のうちに留めるべきだなーと反省したりしたのだった。

  • F さんは自分語りが超得意なひとで、ただちょっとアクが強いのは、その自分語りを(方法として)かなり一般化して語ってしまうことにより、言葉の届く範囲が広くなればなるほどいろんなひとの客観性と衝突してしまうことだ。しかし端々に「?」マークを BUZZ りながら練りあがってくる異様な個人史とも仮想戦記ともつかない語り口はなかなかのもので、そこに魅力がある。
  • 穏当に生きてきた自分にとっては些細なことでも、その食い違いや事実誤認のなかに当人にしか感じられなかった切迫感、緊張感、リアリティが込められているのだと思えば、それは単なる誤りではなく、読解する余地がある。自分語りから湧き上がってくる真実性みたいなもの。
  • ただ、文フリ発行物についていえば、全然そういったものではなかった。まるで「目黒のサンマ」のお城で調理したサンマのように、安全なものになっていた。「なるほど、かなり強引だと思うし、おれは同意しないけど、こういう順番・経路でシーンの断面を見れば、こういう言い方が可能になるのかもなー」という普通の落とし方ができるものになっていた。「これではせっかくの F さんの魅力が減殺されている」と K さんは言った。
  • ただ、それだからこそ感じられる意思みたいなものがあると思ったわけだ。つまり、自分が真剣になればなるほど浮き上がってしまう言葉に対する悩み、自分語りの自己満足井戸から這い上がるための方法がわからないもがき、方法の適切さは置いて、他者に届けるための言葉を使おうとするサービス精神。「自分のカルマを外に出そう」という心意気を感じた。あの F さんがそれをやった、というのがポイントだ。だからこれは一歩として大きいと思った。けども、当然そういう感じ方は文章それ自体の評価とはいえないし、そういう評価の仕方を望む書き手は居ないと思うので(だってそれは「キャラ萌え」とほとんどおなじ意味だからね)、やっぱり筋が悪い。
  • 「個人史の一般化」と「一般論のパッチワークで自分語り」という二つの方法があって、F さんは普段は前者、文フリ発行物では後者の手法を採ったという話だ。ただ、オタ自伝とかオタ個人史的なものの語り口は、そのどちらでもないと思っている。ようするに、一般化にせよパッチワークにせよ、それらには主語がない。論文の書き方だ。だけども、方法だけ論文にしても、F さんの魅力はそこではない(なかった)。カルマを曝け出す、キャラ的な表出のおもしろさが、彼の魅力を伝える近道だろう。ただ、当人がやりたいことは多分それではない。から、今後に期待するしかない。